モンゴルの宗教ってなに?種類から現在•過去など比較してみた

遊牧国家であるモンゴルでは、どのような宗教が信仰されているかご存知ですか?本記事では、モンゴルを「宗教」という観点から紹介します。宗教を知ることは、その国にどのような文化があり、どのような歴史たどってきたかを理解する上でとても有意義です。宗教を通して、モンゴルの「今」「昔」について知見を深めましょう。

モンゴル人の宗教観は?

ときに神道を信仰したり仏教徒やキリスト教徒になってみたりと、日本人の宗教観はかなり緩やか。神も仏も大らかに信仰し、それが矛盾せずに人々の生活に浸透しています。

一方モンゴルで最も宗教人口が多いのは、ダライ・ラマをトップとする「チベット仏教」。さらに古来より受け継がれてきたシャーマニズムも近年隆盛となっています。

モンゴルの人々の生活と、この二つの信仰は切り離すことができません。日常のあらゆる場面で仏や超自然的存在に祈りが捧げられ、モンゴル独自の宗教観が形成されているのです。

仏教とシャーマニズムがうまくミックスされているという点では、モンゴルと日本は似たところがあるともいえます。しかし、現実にはほぼ「無宗教」に近い日本と比べると、モンゴルの方が宗教に傾ける情熱は高そうです。

ただし、ウランバートルのような大都会に暮らす若者の中には、「無宗教」という人も少なくありません。文化が発達していくと信仰心が薄くなるのは、どこの国でも顕著な傾向です。

モンゴル人の宗教

モンゴルの宗教人口の割合はどのようになっているのでしょうか。

少々古いデータとなりますが、2009年に「一般財団法人 海外職業訓練協会」より発表されたモンゴルの基礎情報より紹介します。ただしモンゴル独自の「シャーマニズム」は特定宗教として含まれていないため注意してください。

これによると、2008年当時のモンゴルの総人口は265.4万人。(2018年時点では323.8万人)このうちチベット仏教を信仰する人の割合が最も多く、およそ50%です。

次いでキリスト教6.0%、イスラム教4.0%となり、無宗教の人が40.0%を占めます

モンゴル人が信仰するそれぞれの宗教とシャーマニズムについて、概要を紹介します。

チベット仏教(ラマ教)

モンゴルにおいて多数を占めるチベット仏教は、日本の仏教と同様に釈尊の教えに基づく真性仏教です。ただし両者の特色は若干異なります。

まず日本の仏教は、中国や朝鮮半島を経由して伝わりました。そのため途中で中国の風習や習わしが融合しており、インドで発祥したオリジナルの仏教とは少々異なります。

一方モンゴルに伝わった仏教は、インドの伝統仏教の特色を色濃く受け継いだものです。経路についてはインド→チベット→モンゴルという説、あるいはダイレクトにインドから伝わったという説があります。

どちらのルートを通ったにせよ、純粋なインド仏教が伝わったことは確か。日本に伝わった仏教と比較すると、よりオリジナルに近いものであることは間違いありません。

チベット仏教の特徴

チベット仏教の大きな特徴として、以下の点が上げられます。

  • インド仏教の伝統を忠実に踏襲
  • 転生活仏制度
  • 明解な論理による思考を重視

日本に伝わる仏教は漢訳の経典を元にしています。しかし玄奘三蔵以前に訳されたものは「意訳」に過ぎず、サンスクリット語原典の神髄を伝えていません。

一方でチベット仏教の経典は、サンスクリット語の経典から直接訳された「逐語訳」です。経典の種類も豊富にそろっており、原本が破損したサンスクリット語の経典を推察するときも、貴重な資料になるといわれます。

これが数ある仏教宗派の中でも、「チベット仏教は思想哲学や実践修行の面においてインド仏教の伝統を最も忠実に踏襲している」と考えられている所以です。

ただし、チベットに仏教が伝わったのは、インド仏教の後期といわれる時代です。「密教」色が強く、日本の仏教とは全体的に大きく異なります。チベット仏教に「曼荼羅(まんだら)」「護摩行(ごまぎょう)」などがあるのは、密教のしきたりの影響を受けているためです。

また、輪廻転生を信じるのもチベット仏教の特色の一つです。人が死んだあとは転生し、新しい命として生まれ変わります。ただし次の人生が虫になるか動物になるかは分かりません。しかし徳の高い魂は幾度転生しても「人間」として蘇り、人々を正しい道に導くと考えられています。

その最たる例がチベット仏教のトップ「ダライ・ラマ」です。

ダライ・ラマは、観音菩薩の生まれ代わりとされています。現在14代目ではありますが、チベット仏教によれば、初代も14代も全て同じ魂が転生したもの。ダライ・ラマは活きた仏として何度も生まれ変わり、信者たちを導いていくのです。

こうした「活仏」の思想はチベット仏教ならではといえるでしょう。

加えて、チベット仏教は盲信的な信仰や実践至上主義を良しとしません。

もともとオリジナルのインド仏教は、論理的なもの。やみくもな信仰心よりも論理的な思考と説明が重視されます。

そのためチベット仏教の僧侶たちは、宗派を超えて徹底的に論理学を叩きこまれるそう。自分の宗派以外は学ばない日本の仏教とは大きな違いがあります。

チベット仏教は「ラマ教」と同じ?

チベット仏教について語るとき「ラマ教」という言葉を使う人もいます。しかしこの呼び方はチベット仏教の「蔑称」と見なされているため注意してください。モンゴルのチベット仏教を指すときはそのまま「チベット仏教」あるいは「モンゴル仏教」と言うのがよいでしょう。

「ラマ」とはチベット語で「師匠」を指す言葉。17世紀ごろチベットを訪れたイギリス人宣教師が、人々が高僧ラマを崇拝する様子を見てこのように呼びました。

しかしこれはチベット仏教の本質を表わしていない上、仏教ではない別の宗教であるかのような印象を与えます。西洋中心主義的思想も垣間見えますし、現在では不適切な呼称として忌避されているのです。

モンゴルの仏教とモンゴル人

チベット仏教を信仰するモンゴルですが、実際のところ「チベット仏教そのままを取り入れた」というわけではありません。仏教の教えに遊牧民的なシャーマニズムやしきたりが加わり、独自の「モンゴル仏教」と言われるものが形成されています。

モンゴルでは、ウランバートルの「ガンダン寺」がモンゴル仏教の総本山です。寺院には仏教大学や研究施設も併設されており、モンゴルの仏教文化・芸術の研究や復興に注力しています。

また、ウランバートルでは仏教への信仰心が薄くなっている一方で、田舎の方では深い信仰心を持って生活している人も多く見られます。

家の奥にはダライ・ラマの写真や仏像を置いた仏壇を飾り、毎日お茶やお菓子などお供えするのがしきたりです。

さらに旧正月にはお寺を訪問したり、厄払いしてもらったりするのもごく日常的に行われます。

このほか、家族の誰かが旅に出るときはお寺に行ってお経を上げてもらうことも珍しくはありません。旅の安全を仏に祈り、無事に帰還することを仏に祈るのです。

こうした信仰深さは若者も例外ではなく、僧侶に結婚の時期や相手との相性を占ってもらったり、卒業式のあとお寺に行ってお経をあげてもらったりすることもあります。

モンゴルでは生活の一部としてチベット仏教が深く根付いているのです。

シャーマニズム

仏教伝来以前、モンゴルでは山や土、水、火などあらゆる自然に神が宿ると考えられていました。このようなシャーマニズムでは、「シャーマン」と呼ばれる巫者が自然と人間との仲介者となり、さまざまな助言や提言を行います。

歴史に残る大帝国「モンゴル帝国」を築き上げたチンギス・ハーンも、その名をシャーマンから賜ったそうです。

モンゴルのシャーマンは、男性が「ザイラン」、女性は「オッドガン」と呼ばれます。また、彼らを守護し助ける「オンゴッド」と呼ばれる精霊もモンゴルのシャーマニズムには欠かせない存在です。

一般的にモンゴルのシャーマンは「白」「黒」に別れています。病気を治したり悪霊を祓ったりするときは白のシャーマン。一方、誰かに呪いをかけたりなどするときは黒のシャーマンにお願いするそうです。

そんなモンゴルのシャーマニズムの中で、特に有名なのが主にモンゴル北方民族が行う「オボー祀り」とよばれるもの。

これは草原に木や石を組み合わせて作った「オボー」と呼ばれる塔を使って、神と交信する祭祀です。祭祀においてオボーは天と地を結ぶ柱のようなものとして存在し、人々はシャーマンを介して無病息災や悩み事の解決を祈ります。

モンゴルでは、社会主義時代にシャーマニズムが禁止されその存在は危ぶまれていました。しかし民主化以降は再びシャーマニズムに注目が集まり、シャーマン文化が復活。現在ではウランバートルを中心にシャーマンになる人が増えているそうです。

キリスト教

モンゴルのキリスト教徒は、およそ90%が「プロテスタント」です。次いで「モルモン教」が信仰されており、その割合は約9%。日本で多く見られる「カトリック」を信仰する人は「ギリシャ正教」と併せて1%程度しか存在しません。

モンゴルでは民主化直後、ヨーロッパのカトリック系ミッション団体が布教活動を行いました。しかし21世紀に入ると、アメリカや韓国のプロテスタント系の団体が布教をスタートします。これによりカトリックはプロテスタントに駆逐され、今日のモンゴルではプロテスタントが主流になったと考えられます。

現在モンゴル国内で登録されているキリスト教団体はおよそ160。しかし、未登録の福音教会は250以上存在するそうです。

イスラム教

出典:Projects-for-A.

モンゴルで約4%の割合を占めるのがイスラム教です。これを信仰する人は、主に西部に集中しています。

モンゴルの民族構成は約95%がモンゴル民族ですが、少数民族も少なからず存在します。イスラム教を信仰している「カザフ人」は、そんな少数民族の一部です。

モンゴルの最西部に位置する「バヤンウルギー県」は人口の9割がカザフ人という、少数民族が多数派の県です。こちらではカザフの伝統文化がそこかしこに見られ、宗教もイスラム教が主流となっています。

県内には40近いモスクがあるといいますから、他のモンゴルの地域とは別世界のようにも思えるかもしれませんね。

このほか、文化の多様化が進む首都・ウランバートルでもイスラム人口は増えているようです。

モンゴルにおける宗教の歴史

モンゴルの宗教は仏教伝来により大きく様変わりしました。モンゴルにおける宗教の歴史について紹介します。

モンゴル帝国時代

6~7世紀ごろにモンゴル高原に興った国々の遺跡や遺物を見ると、当時すでに仏教が伝わっていた形跡が見られます。

しかし、この頃の仏教はまだモンゴルにおいて「主流」だったわけではありません。遊牧民の間ではシャーマニズムが広く信仰されており、「天」を崇めて暮らすのが一般的でした。

仏教が本格的にモンゴルに入ってきたのは、チンギス・ハーンを祖とする「モンゴル帝国」時代です。モンゴル軍は各地を侵攻して領土を拡大しましたが、その途中でチベットを侵攻。このときチベット仏教もモンゴル帝国に吸収されました。

これ以降モンゴル帝国のハーンたちはチベット仏教を廃棄せず、むしろ保護します。信仰の自由は認められ、モンゴル帝国内では広くチベット仏教が普及しました。

ハーンたちもチベット仏教を信仰したため、移動式ゲル型の寺院も登場。これはやがて定置型の寺院となり、王宮を取り囲むようにたくさんの仏教寺院が建立されました。

社会主義時代

1911年の「辛亥革命」によって中国の「清王朝」が倒れると、モンゴル内でも独立運動が盛んになります。そして複雑な国際関係の中、モンゴルは史上2番目の社会主義国家として独立を果たします。これに伴い、首都も「ウランバートル」と改名されました。

これ以降、宗教を危険視していたスターリン政権の影響によりモンゴルではあらゆる宗教が弾圧されます。仏教やシャーマニズムを信仰することは許されず、寺院や施設は破壊することを命じられました。そしてたくさんの僧侶やシャーマンも激しい迫害を受けたのです。

16~18世紀にかけて建立されたモンゴルの寺院の数はおよそ800以上あったといわれます。しかしこのときの宗教弾圧により、およそ750の寺院が破壊されてしまいました。

寺院だけではなく貴重な遺跡や文献等も破棄され、多くの素晴らしいモンゴル仏教文化が失われてしまったのです。

民主化以降

1992年に社会主義から民主主義へ移行したモンゴルは、国名を「モンゴル人民共和国」から「モンゴル国」へと改めます。新憲法も発行され、人々には信仰の自由も認められるようになりました。

破壊された寺院は次々と修復・再建設され、現在モンゴルでは国をあげて断絶されていた伝統文化の復興に力を入れています。

また、宗教弾圧時代でも大切な経典や仏像などを洞窟や家の隅に隠していた人は少なくなかったそう。破壊を免れた仏教関連の資料も次々と寺院に戻され、歴史の修復に一役かっているそうです。

モンゴルの宗教に興味がある人におすすめ!モンゴルの宗教的観光スポット

社会主義時代の粛正により多くの宗教文化が失われたモンゴルですが、破壊を免れたものもあります。モンゴルの宗教に興味がある人は、このような歴史的観光地に足を運んでみるとよいかもしれません。

モンゴルの宗教を知る上で、ぜひチェックしておきたいおすすめの観光スポットを紹介します。

ガンダン寺(ガンダンテグチレン寺院)

こちらはウランバートル市内中心部から西北西約2kmの場所にある寺院です。チベット仏教ゲルク派の寺院で、前述のとおりモンゴル仏教の総本山。現在のダライ・ラマも何度もここで説法を行いました。

社会主義時代でも唯一宗教活動が認められ、数あるモンゴルの仏教寺院の中でも特別な存在とみなされています。

このお寺の見どころは、高さ26.5mもある「開眼観音」です。これは第8代活仏ジェプツンダンバ・ボグドゲゲン・ハーンが盲目になった際作られた仏像で、この世のあらゆる厄災から救ってくれると信じられています。

ただし、オリジナルの開眼観音は、社会主義時代にソ連軍によって持ち出されたまま行方不明の状態です。現在あるものは、民主化後の1996年に改めて作成されました。

寺院内は、観光客から地元民まで多くの信者がたくさん。一回まわすと一回経文を読んだのと同様の功徳を得られるという「マニ車」を回す音が絶えず響いています。

エレデネ・ゾー寺院

出典: RedDuckPost

エレデネ・ゾー寺院は、1996年に「ユネスコ世界遺産」にも認定されたモンゴル最古といわれる仏教寺院です。ウランバートルから西に約360km離れた「ハラホリン(カラコルム)」にあります。

寺院が建てられたのは1586年。108もの仏塔があり、全長429mの城壁に囲まれています。10万体もの仏陀像や釘を一切使わずに建設された寺院などありますから、ぜひ時間をかけて回ってください。

また、周辺には亀の形をした「亀石」や日本のODAで建設された「カラコルム博物館」といった興味深い観光スポットもあります。

アマルバヤスガラント寺院

出典:ケンチク。

ウランバートルから車で約6時間、北北西に360kmほど行くと、モンゴルを代表する寺院の一つといわれる「アマルバヤスガラント寺院」があります。

こちらは清の雍正帝の勅令により建立された中国皇室寺院。1737年に10年越しで完成しました。社会主義時代に一部は破壊されてしまいましたが、大部分は無傷のまま残っているため、当時の面影が伺えます。

素晴らしい寺院や周辺施設も見ごたえがあるのですが、こちらの寺院が有名なのは仏教説話を仮面舞踏にした伝統的な儀式「ツァム」を復活させたためです。

伝統舞踊として行われてきたツァムは、社会主義時代に禁じられました。そのためこの伝統は一時期断絶していたのですが、民主化以降アマルバヤスガラント寺院が先陣を切って復活させたのです。

清朝初期の建造物として文化財的な意義が高い寺院ですが、現在でも普通に僧侶たちが暮らしています。観光寺院ではないので、拝観の際はきちんとマナーを守ってくださいね。

マンズシル寺院

出典:tripnote

「マンズシル」とは知恵をつかさどるといわれる「文殊菩薩」を表わす言葉です。この寺院はウランバートルから車で1時間ほどの距離にある「ボグドハーン保護区内」にあります。

建立されたのは1733年で、最盛期には20の寺院に300人もの僧侶が暮らしていたそうです。しかし社会主義時代の粛正により、寺院は跡形もなく破壊されてしまいました。

民主化以降復興が進み、メインの修道院は博物館として内部を見学できます。

遺跡群は破壊のあとが生々しく、もの悲しい雰囲気です。しかし周辺の自然と遺跡とのコントラストが素晴らしく、現在ではSNS映えする絶景スポットとして人気を集めています。

また、寺院の背後にある3つのほこらもぜひチェックしておきたいポイントです。ここだけは軍による破壊を免れ、今に至っています。

山の急斜面にありますが、長めは最高。緑豊かな風景は当時と変わらぬ美しさです。

ただし秋や冬になると観光するのが困難になるため、夏のベストシーズに訪れるのがよいでしょう。

まとめ

モンゴルの人々が信仰するチベット仏教は、大別すると日本と同じ「北方仏教」に属します。しかし、寺院の様子や人々の信仰心は日本のそれとは大きく異なるものです。モンゴルについて知る上で、宗教的な遺跡や施設を訪ねるのは非常に有益といえるでしょう。

またモンゴルでは、古来より伝わるシャーマニズムも広く信仰されています。大都市ウランバートルでもシャーマンとして生活する人も多いそう。チャンスがあれば祭祀を見学させてもらうと、モンゴル人のルーツを肌で感じられるかもしれません。

ただし観光で宗教スポットに行くときは、人々の信仰を妨げたりマナーを破ったりすることは厳禁です。人々の祈りや儀式を邪魔しないよう、節度を持って観光してくださいね。