大草原と遊牧民の国、モンゴル。
同じ東アジアの国ですが、歴史的にも文化的にも日本とはまったく違う道を歩んでおり、様々な意味で少し遠くの国というイメージのある人も多いのではないでしょうか。
現在は、旅行者がイメージするようなモンゴル人はほとんどいなくなってしまいました。
いわゆる、遊牧民と呼ばれる人々は現在、モンゴル人の総人口の内、1割程度にも満たないと言われています。
社会主義時代、社会主義政策の崩壊、全世界の欧米化によって、定住化を余儀なくされ、文化が今、失われようとしています。
しかし、モンゴルの文化というものは定住民族である我々日本人からすると価値観が180度異なっており、すごく面白いものです。
モンゴル相撲、モンゴル料理、モンゴル習字等々・・・。
社会主義時代は弾圧されていた文化ですが、昨今、政府を中心に再び振興活動が行われるようになりました。
その中でも、特に典型的でユニークなのが移動式テントであるゲルだと思います。
今回、本記事では移動する住居、ゲルについてを紹介していきます。
そもそもゲルって何?
ゲルとは、モンゴル高原に住んでいる遊牧民が使用している伝統的な移動式住居のことです。
簡単に構造を説明すると、テントのようなものですが、一般的に私達が想像しているテントとは違い、内部はしっかりと中長期的に生活できるようになっています。
日本では、中国語に倣ってパオ(包むという意味)という名前で呼ばれることもあるそうですが、今日ではゲルの方が主流になっています。
ちなみに、このような移動式住居があるのはモンゴルだけではありません。
中国大陸の北側を始め、北中央アジアを拠点としていた遊牧民族は現在でも文化を共通している例がたくさんあります。
テュルク系統遊牧民である、カザフ人やキルギス人もゲルとほぼ同じ形状の移動式住居を使用しているのです。
ただし、その場合はユルトやユルタという名前で呼ばれます。
ゲルを始めとする円形移動式住居は比較的平地やなだらかな場所が多い草原地帯に適しており、逆に起伏に富む場所では方形の移動式住居を使うことが多いです。
モンゴルの場合、国土のほとんどが草原や台地であるため、円形移動式住居であるゲルが流行ったというわけです。
モンゴル遊牧民はなぜ移動する?
それでは、なぜモンゴル人は歴史的に定住が進まず、近現代に入るまで移動が主流だったのでしょうか。
様々な理由がありますが、第一に農耕に不向きな土地柄であったことです。
昨今、品種改良の発達によって、モンゴルといった寒冷地でも作物を育てられるようになってきました。
現在では、小麦やじゃがいもといった作物が盛んに栽培されていますが、200年前頃までは優良品種というものはありません。
農耕ができないのであれば、大地に鬱蒼と生えている牧草を利用して牧畜をやろうという考えになるのは至極当たり前のことだと思います。
ただし、牧草は無限にあるというわけではありません。
飼っているヒツジやヤギ、ウマが食べればなくなってしまうわけで、なくなってしまったら家畜の餌を探して他の場所に移り住まないといけないのです。
こうして遊牧民族は移動して家畜を食わせていくという生活様式が成立しました。
その結果、引っ越しを簡素に、尚且つやりやすくするため生まれたのが移動式テントであるゲルです。
ちなみに、現在の遊牧民族はいつも移動しているというわけではなく、移動するのは年4回。
春営地、夏営地、秋営地、冬営地というものがあり、家畜の生育や繁殖時期などに合わせて、毎年比較的同じ場所をぐるぐると回ります。
春に食べつくしてしまった牧草も、次の春にはまた牧草が生えそろっているというようなサイクルで遊牧民族は生活を回しています。
ゲルの構造
移動式住居と遊牧民の繋がりは理解できましたか?
しかし、どうやって移動するのかはあまりイメージできないかもしれません。
移動する際、ゲルは完全に解体してしまいます。床材を除く、部材の総重量はおよそ250キロ~300キロにも及びます。
軽トラ一杯ちょっと分と言うとイメージが付きやすいかもしれません。逆に、これだけの材料で住居がしっかり建ってしまうのですから驚きですよね。
これらの部材は牛やラクダといった使役用家畜に乗せて運んでいましたが、現在ではトラックで運ぶのが一般的になりました。
さて、ゲルがどのような構造になっているのか、一つずつ部品を見ていきましょう。
ハラッツ
ハラッツはゲルの頂点に開けられた円形の天窓です。
ハラッツの中に井の字型の木枠を組むのですが、それはツアンーホラと呼ばれており、現在は鉄製ストーブの煙突を固定するために使っています。
ハラッツとツアンーホラはゲルの安定性や柔軟性を決める重要な役割があるため、ニレの木でできています。
ニレの木は硬度が適度にあり、弾力性に富み、腐らず、湿気で変形しにくいという、高価ですが、建築材としては文句のない性能をしているからです。
オニ
大黒柱的な役割を果たす、天窓ハラッツとゲルの壁とを連結するためにあるのがオニと呼ばれる建築材です。
いわゆる、ゲルの屋根組にあたります。
ハラッツと共に、ゲルの屋根を構成している大事な要素です。
そのため、モンゴル語でスウーハと呼ばれる、硬度の高く、割れにくい木材が付かれています。
また、スウーハは魔除けの機能があると信じられているため、オニの材料になるだけでなく、安心祈念のネックレスに加工されたりすることもあるそうです。
テレム
ゲルの側壁にあたる部分を指します。
家の骨格部分にあたり、その骨格数は地域によってまばら。
大体24~44本くらいの久野坊を斜めに固定し、ひし形の格子状に形作られています。
格子状にすることにより、骨格が骨格を支える、いわゆる総持ちという状態になるため、数倍も強度が高まるのです。
テレムはオニと連結され、ハラッツに繋がります。
ちなみに、テレムには引っ越しを容易にするため、講師部分は接合部をピンで固定してあり、移動時には蛇腹式に折りたたむことができます。
こうすることによって、運搬時にかさばらないことや、また組み立てる時、2人いればワンタッチで済んでしまうという利便性があるのです。
ウーデ
ゲルのドアにあたるの場所をウーデと呼んでいます。
その中でも細分化され、戸の部分であるハチャボチ、ドアのかまちのタドグ、敷居であるエレヒから成り立っています。
冬の寒い時期、この戸の部分から中の温かい室温が奪われてしまうため、ウーデの外に帆布とフェルトを合わせて作ったカーテンによってゲル全体を保温しているそうです。
また、文化的にモンゴル人は太陽を崇拝していた傾向にあるため、ウーデは南側に作られます。
これは、どのような場所に移動してもです。
この文化は信仰によるところでもありますが、ウーデを南側にすることで、太陽光の日照時間を極力伸ばし、温かくするという生活の知恵が残った結果かもしれませんね。
また、日本でも敷居をまたぐなという言葉があるように、モンゴル人にとってもウーデの敷居はかなり重要なものであると考えられています。
敷居を踏むことやドアの上の部分に手を置くことはタブー視されているため、もしもモンゴルでゲル宿泊をする際は注意が必要です。
バガナ
建築材というよりは、ゲルを組み立てる際に使用する道具の一種です。
形状は様々ですが、多くは丸い棒であり、ハラッツを仮止めするため、V字型になっています。
ゲルが組みたった後は生活の邪魔になってしまうので撤去してしまいますが、風が強い日で、ゲルが飛んでしまいそうな時は設置してゲルを支えます。
ウォルク
ウォルクはゲル買いのゲルとや帆布の一種です。
中でも、天頂部にあたるハラッツを覆う部分です。2つのゲルとを帆布で縫込み、三隅に馬の毛で作った縄でつなげてあるのが特徴です。
ハラッツと同じく、ゲルの中では信仰的にも重要視され、火の神様がハラッツやウォルクを通って入ってくると考えられています。
ゲルを建てる際は、誤ってウォルクを踏まれたりしないよう、清潔で安全な場所に置いておくほど徹底されています。
解体時も同様で、最初にゲルの主人がウォルクを安全な場所に置いてから他の作業にあたるという伝統があるそうです。
デーブリ
デーブリはオニを覆い、屋根と同じ働きをするフェルトのことです。
2枚で1組であり、これでオニ全体を覆うことができます。1枚で全体を覆うよりも、2枚の方が解体時も組み立て時も便利なので、このような形になりました。
一般的に、ゲル内の主婦や女性がヒツジの毛で丈夫に縫い込んでいるため、雨や風といった気象状況でも簡単に変形しない工夫が施されています。
ゲルの中の居住空間
ホイモリ
ゲルは、戸口を通ると中央部にストーブがあり、この中心部はゴロムトと呼ばれています。
その奥の仏壇や家族写真を並べる場所がホイモリと呼ばれる、いわゆる奥の間となっています。
モンゴル人の認識の中では、南が前、北が後ろです。
モンゴル語で「ホイヌ」というのは後ろという意味があり、つまるところホイモリはゲルの後ろを指す言葉です。
ここから、ホイモリがゲルの中でも北側部分に位置することがわかると思います。
男性の空間
男性の空間では、日常生活・年中行事問わず、年齢順に着席する傾向にあります。
ホイモリに近い席ほど、そのゲル内で上位の人間であることを示唆しており、始めてゲル内でホームステイする人にも一目瞭然です。
ちなみに、男性の空間はモンゴル語で「バローン・ビイ」と呼ばれ、ゲル内の西に位置します。
女性の空間
女性の空間は男性の空間から見て左側に位置します。
モンゴル語ではジューン・ビイと呼ばれており、こちらも男性と同様、席順は年齢や世代別です。
夜は食卓等を片付け、このスペースで固まって寝ます。
かまどの空間
ゲルは中央部にかまどがおいてあり、個の空間をゴォルと呼んでいます。
語源は、中央や中心といったような意味のみならず、「最も大事なもの」というニュアンスもあります。
ゴォルの空間は、日常生活においては恒久的に使い、また、儀式や行事の際も利用する重要な空間です。
お客さんがゲルに来た際、食事やお茶が足りなくなったら即座にゴォルに追加します。
それほど、モンゴルでは客人を接待する際、客人の食事が足りないのを嫌う民族なのです。
ゲルの建て方を知ろう!
次に、ゲルの建て方を見ていきましょう。
前述の通り、ゲルは総重量250キロ~300キロ程度。
大人が2.3人程度で施工しても、解体は1時間程度、組み立てが2時間程度しかかかりません。
まずは平らない地面に床材を敷きます。
床材は夏場にいたっては簡単なフェルトや布で敷き床とします。寒い冬は家畜の糞を接着剤にし、その上に板をくっつけ、じゅうたんを敷くことによって床冷えを防止するそうです。
次に、格子状の骨組み、テレムをつなげて、円形の壁を作ります。更に戸を南側の方角に着けることもわすれてはいけません。
そして、バガナで天窓の柵を支えながら、ハラッツを4方向から紐で壁にわたし、縛って固定しましょう。
そのハラッツから、一本ずつ放射状の屋根材であるオニを放射状に渡していって固定すると、骨組みが完成します。
あとは、屋根天頂部から順番に布をかぶせ、テントのようにしていけば、ゲルの組み立ては完成です!
どうですか?
プラモデルみたいに単純で簡単でしょう?
まとめ
現在のゲル
歴史的には長い間、遊牧民族の住居として活躍したゲルですが、現在もモンゴル人から使われているのでしょうか?
答えはYESです。現在でも、ゲルは広くモンゴル人の間で住居として使われています。
しかし、それは負の側面も見えかくれしてしまっているというのが現状です。
社会主義政策の放棄後、自由経済に移行し、多数のモンゴル人が遊牧では生きていけない環境になってしまいました。
そこで、ウランバートル市に仕事を求めて大勢の人が来てしまい、結局人口分住居が確保できない、そもそも固定の住居を購入できるほど裕福ではないというような問題が起きています。
そこで、元々遊牧民達が持っていたゲルが利用されることとなったのです。
ゲルは非常に安価で、その時々にあった情勢に合わせ、自由に増改築できます。
しかし、その手軽さのせいで、ウランバートル市では首都であるのにも関わらず、ゲルのテントが多く目立ったゲル地区というのが存在します。
上下水道も通っていないような粗悪な環境の中、暮らしている人が多くおり、これがストリートチルドレン問題の遠因になっているという学者もいます。
広く使われているということは喜ばしいことかもしれませんが、このような文化継承の仕方では、いずれ無理がくるかもしれませんね・・・。