社会問題化した子ども達の苦難。マンホールチルドレンとは何か。

日本は非常に豊かな国です。

日本で当たり前のように暮らしている我々からすると、それを実感するのが難しいですが、「日本で生まれてきただけで運がいい。」とまで言われるほどです。

実際に、「僕は日本で生まれてきたかった。」と言うモンゴルの子どもがいます。

すごく悲しい事実であると思います。

2000年~2013年、モンゴルは資源大国としてその国際的地位を高めようとしていました。

その甲斐あって、エルデネトにある鉱山は世界でも有数の大規模鉱山になり、国内GDPの1割以上を担うようになったのです。

しかし、国際的な金融危機や輸出相手国による資源輸出制限により、急成長は終わりを迎えます。

財政破綻こそ免れたものの、そのツケを国民に負担させてしまうことになった問題は大きく、チョイバルサンしを始め、多数の都市部で失業者を生むことになりました。

こうした社会問題を多く孕んでいるモンゴルですが、とりわけマンホールチルドレンの問題は非常に悲しい問題として国際的にも認知されています。

今回、本記事ではマンホールチルドレン問題について紹介していきます。

マンホールチルドレンって何?

昨今は少なくなってきましたが、日本も戦後貧しい時期、ホームレスが社会問題となっていました。

現在でも、河川敷や高架下にいますが、保護活動も積極的に行われている印象があります。

ホームレスのほとんどが、経済的理由によるものであると言われています。住む家を維持するお金を捻出することができなかった結果、屋根のない場所で寝泊まりすることになるのです。

日本では子どものホームレスはまったくいません。

日本では、未成年の孤児は保護の対象となり、孤児園などに預けられるからです。

しかし、モンゴルといった後発開発途上国は違います。経済的理由により、ホームレスになる人が子どもを含めて多く存在し、それに対する補助の財源が確保されていないのです。

マンホールチルドレンとは、広意義に捉えると、ホームレスになってしまった子ども達を指します。

それでは、なぜ「マンホール」と冠するのでしょうか。

モンゴルは日本よりも厳しい寒さであり、冬場、屋根のない場所で眠ってしまうと凍死してしまう恐れがあります。

真冬には零下30度を下回るほどです。日本の冬でも、ホームレスが凍死するなどの事件が毎年起きているのに、モンゴルではとても外で暮らしていけませんよね。

そこで、子ども達が住処として見つけたのがマンホールの中なのです。

下水には、工場排水や生活排水、暖房用の温水も含まれており、下水道の中は比較的温かい傾向にあります。

また、地下であるため、夏場でも冬場でも気温が一定であり、ホームレスの子ども達にとっては住みよい場所と言えるでしょう。

しかし、それはあくまでもすぐに凍死したりしないだけの話。

下水道の中が不衛生であることは想像に難くなく、伝染病が蔓延しているという情報もあります。

実際、マンホールの中はゴキブリやネズミなど、病原菌を媒介するような動物がたくさんおり、それが特に幼年期の子どもの命を危機にさらします。

子ども達は、そのような過酷な環境の中、大人の力を借りずに生活しているのです。

マンホールチルドレンが生まれた背景

社会主義体制の崩壊

モンゴルがソビエト連邦の崩壊の波によって社会主義体制を放棄したのは1992年のことでした。

それまで、モンゴルは国家が経済や商売、農業の全てを管理するようなシステムを取っていたため、急な市場経済化は混乱を生むことになります。

また、モンゴルでは、ソビエト連邦が崩壊するまで、ソビエト連邦の忠実な衛星国として蜜月関係にありました。

ソビエト連邦にとっても、モンゴルは中ソ対立の最前線として、戦略的価値があります。

このような利害関係により、ソビエト連邦は貧しいモンゴルに対し、莫大な資金援助を行っており、モンゴルはそれを以って国家運営を行ってきたのです。

そのため、社会主義体制の崩壊により、半世紀以上の間受けていた資金援助がなくなるどころか返済の義務が生じるようになると、急激に国内に割く予算がなくなってしまいました。

資本主義体制下に伴う貧困層の出現

実際、モンゴルでは1992年以前、マンホールチルドレンが存在したという事実はなく、国家によって最低限の生活は保障されていました。

今に比べると、明らかに裕福な人が増えたモンゴルですが、社会主義時代に存在しなかった超極貧層というのが社会主義体制の放棄によって生まれてしまったのです。

また、なぜ急にマンホールで済み始める人が現れたのか、その理由2つあります。

まず第一に、社会主義体制の崩壊が冬場であったことです。

子ども達が暖を求め、温かい場所に集まるのは自明の理であり、その行動は人々にとっても非常に印象的でした。

そして第二に、それが広く知れ渡ってしまったためです。

「ストリートチルドレン」という単語が、モンゴル貧困の代名詞となってしまったために、その後生まれてきたホームレスの子ども達が真似をしてしまいました。

これにより、ストリートチルドレンという集団が形成されていったのです。

マンホールチルドレン問題の概況

マンホールチルドレンの定義とは?

まずは、マンホールチルドレンの定義から知っていきましょう。

実は、マンホールチルドレンと言う呼称を広く使っているのは日本くらいです。

1998年NHKのドキュメンタリー番組にて、「マンホールチルドレン」という呼称が利用され、その単語と存在が広く認知されるようになりました。

そのため、日本の支援型NPO法人やNGOでは共通して「マンホールチルドレン」という名称を使用しているのが一般的です。

一方、モンゴル政府や国際機関では更に広義的な意味にあたる、「ストリートチルドレン」の名称を使います。

なぜ、広義的な単語を使うのかというと、最近では温かい時期、マンホール以外の場所(公園や駅広場)で生活する子ども達がいるためです。

マンホールではなく、ストリートと定義づけした方が、包括的に単語を使えるので、モンゴル政府はこちらを利用しています。

また、モンゴルの住所確定センターと国立子どもセンターでは「ストリートチルドレン」のことを「ストリートで暮らしている子ども。自分の家族と住みながらストリートで大半の時間を過ごし、生活の糧を得ている子ども。児童養護施設に入所している子ども。」と定義づけしており既に児童養護施設などで保護されている子ども達も含んでいます。

特色

前述の通り、ストリートで暮らす子ども達が自分達の住む場所をマンホールとしたのは、温かく、風雨を凌げるためです。

ウランバートル市では、地下空間に温水パイプを通すことによって、建物全体に温水を供給している構造なためにこの生活が成り立ってしまいます。

さて、モンゴルでは問題が深刻化した1994年、ストリートチルドレン問題会議が開かれました。

そこで、路上生活を営む子ども達を3つに分類しました。

①家族の元で暮らしてはいる

家族としての生活が苦しくなり、一人でも労働力や稼ぎ手が必要であったため、学校を中退したパターンです。

日中はストリートでその日の銭稼ぎをしますが、夜になると自分の家に帰ります。

中には、1週間~3週間程度家に戻らない子どももいます。

②家族と連絡をとってはいる

次に、ほとんど路上で暮らしているものの、家族とのコネクションはあるというパターンです。

この場合、数ヶ月程度家に帰らないということもあります。

暴力や夫婦喧嘩などの家族間不和によって家出をしているのがほとんどであり、こういった子ども達は保護施設でも中々うまく他人と馴染めない子が多い傾向にあるそうです。

仕事は主に市場での荷物運びや靴磨きなどの雑用、スリや万引きなどの軽犯罪から、強盗などの重犯罪にまで手を染める子どももいます。

家族と不和なため、稼いだお金は全て自分が使い、自由に路上で生活するという独立意識が強いのも特色です。

③家族から完全に離れている

次に、1年に数回連絡を取るかどうか~まったく親とコネクションがないパターンです。

①・②とは違い、完全に保護する人がいないため、モンゴル政府は最も保護を必要とする子どものグループであるとしています。

犯罪に加担することも多く、他の捨て子達と一緒にグループを構築した上で共同生活を送る例も見受けられているそうです。

児童養護施設に入れられても自由で開放的だったマンホールでの生活に執着を持ち、勝手に出て行ってしまう例もあります。

親家族の問題背景

このように、どのようなストリートチルドレンであれ、生まれる原因は親家族の抱える問題や背景に原因があります。

とある調査では、マンホールチルドレンの35.2%が孤児、51.4%が親がアルコール依存症、犯罪者、病気等、残りの26.8%のみ、父母や保護者がいるというような状況です。

いずれにしても、家族内部の貧困が直接的な原因であると考えられており、それは子ども達の間でも周知の事実。

一見、家庭内のいさかいも大きな原因の一つと思われますが、路上生活者になった原因としてそれをあげたのはたったの6.8%だけでした。

対して経済的困窮は56.3%と過半数を超えています。

学校はどうしているのか?

そんなマンホールチルドレンの就学状況ですが、7歳~17歳の期間にあたる子ども達の33.2%は施設から学校に通っています。

29.9%は学校に通っておらず、施設で大体授業を行ってもらっており、教育事情はまだ改善されつつあります。

しかし、現状でも全く読み書きできない子ども達もおり、ストリートチルドレンの4人に1人が識字能力不足になっているのです。

新型マンホールチルドレンの誕生

後述しますが、昨今はマンホールチルドレンの存在が世界中広く知られるようになり、その保護活動も活発化しています。

しかし、中には、孤児院に入ることができたのにも関わらず、マンホールで暮らすことを選ぶ子どもがいることも事実です。

孤児院と一口に言っても、その教育体制は様々。中には、悪徳な業者も存在します。

孤児院での規則やルールに従うことができない、孤児院内でいじめに遭ってしまうということがあり、マンホールでの生活を選んでしまうのです。

マンホールチルドレンへの保護活動

政府の保護活動

モンゴル政府は1996年~警察機関である住所確定センターが設立され、路上生活をしている子ども達を2週間~1か月、保護の上身辺調査が行われるようになりました。

健康診断を受けたうえ、引き受け手が不十分であった場合、養護施設へ送られます。

2000年までの4年間だけでも1万人を超える子ども達を保護しており、その実績は確かなものです。

国際機関の保護活動

国際機関の中でも、中心的に関与しているグループはやはりユニセフでしょう。

ユニセフは児童養護施設への支援だけでなく、世界中への告知のために報告書の作成、政策提言なども行っています。

これ以上ストリートチルドレンを生み出さないための予防措置として、貧困家庭に対して学用品や服などを提供しているそうですが、残念なことにそれらを売却して生活している家庭もあるんだとか。

まとめ

保護活動にも限界がある

近年、マンホールに家族連れで暮らす人、子どもではない青年が住む様子がよく見られます。

これらはマンホールアダルトという名前で呼ばれており、2010年の調査ではウランバートル市内で2000人を超えたと言われています。

実は、マンホールチルドレンに対する保護活動は十分とは言い切れないのが現状としてあります。

孤児院に保護されていたとしても、高校を卒業した後は孤児院を出なければなりません。

その後は自分の力で働き、生活をしていかなければならないものの、モンゴル国内、特にウランバートル市では労働力と仕事の需要供給バランスがまったくかみ合っていないのが現状です。

そのため、高卒では中々働き口にありつけません。

大学も就学に対する奨学金や補助事業制度が整っておらず、あきらめるしかない状況です。

孤児院運営の都合上、行き場がないというのはわかっていても卒業させざるを得ません。

こういった青年達は結局マンホールに戻っていってしまうのです。

保護活動にも限界があるのは確かであり、前述の通り、本人の自由意志でマンホール生活を選ぶ子ども達をどう考えていくのかも問題。

考えれば考えるほど問題は山積みです。

モンゴルでマンホールチルドレンをなくしていくには、水際の保護活動だけでなく、抜本的な対策が必要なのかもしれませんね。