モンゴル外交問題は?外務省を参考に調べてみた

この記事ではモンゴル国の外交に関することをテーマに紹介したいと思いますが、その前にモンゴル国の簡単な概要を見ていきます。

モンゴル国は1911年、辛亥革命によって中国から分離して自治政府を樹立しています。

モンゴル国の人工は336万7542人(2020年)で日本の約37分の1ですが、国土面積は156万4,100平方メールありますから、日本の約4倍あることが分かります。

民族としては、モンゴル人が全体の95%を締め、残りの5%はカザフ人などがいます。

モンゴル国の宗教の多くはチベット仏教であり、1990年前半以降は社会主義が復活し、1992年2月の新憲法により、信教の自由が保障されています。

モンゴルの政治体制は大統領が元首

 

モンゴル国の現在の元首はオフナー・フレルスフ大統領であり、2021年6月25日に就任したばかりです。

日本では元首が天皇なのか総理大臣なのかあいまいなところがありますが、モンゴルでは大統領が元首となっているようです。

首相はロヴサンナムスライ・オヨーンエルデネであり、2021年1月27日に就任、外務大臣はバトムンフ・バトツェツェグで、2021年1月29日に就任しています。

日本との関係では、1972年に外交関係を樹立しています。

2020年に憲法を改正している

 

モンゴル国は、2020年5月25日に憲法が改正されていますが、どの辺りが改正されたのでしょうか?

まず、首相に閣僚任免権が付与されたことで首相への権限が強化され、内閣提出予算案の国会審議時の議員による予算追加提案に歯止めがかかりました。

また、議員の閣僚兼務に制限を設け、議員・閣僚の兼務ができる人は首相を除いて4名となっています。

更に大統領の任期についても、これまでは最大で2期8年でしたが、今回の改正では1期のみ6年間となったことで、肥大化していた大統領の権限に制限をかける形となりました。

裁判官弾劾委員会の設置規定などにより、他の2権や大統領による司法への介入に一定の制限がかけられています。

地方自治体の徴税額の決定権限を明記するなど、地方自治体に対しても一定の強化を与えています

モンゴル国の外交の特色とは

 

モンゴル国の外交方針としては、隣国の中国やロシアとのバランスを考えた外交を軸とし、両国に過度に依存せず「第三の隣国」との関係を発展させてきました。

特に日本との関係を重視していて、様々なレベルでの交流をしながら二国間の関係を強化しています

モンゴル国と隣国とで外交問題はあるの?

 

ロシアとの意外な関係

 

モンゴル国はモンゴル人民共和国時代、「ソ連の16番目の共和国」と言われるほどソ連との関係が深い国でした。

1942年にはキリル文字の採用や、生活のほとんどの面に渡りソ連とロシアの習慣が普及していました。

それは、民主化後のモンゴル大統領やモンゴルの首相のほとんどがソ連に留学していた経歴を持っていることからも分かります。

中国から迫害されていた?

 

歴史的にみてもモンゴル国は何度も中国から侵略を受けてきました。

特に清朝末期から中華民国時代の中国人による南モンゴルへの弾圧は、今でも語り継がれています。

そのため、モンゴル人の中国に対する敵対心があり、過去にも中国人がモンゴルで襲われる事件が起きていますが、顔が似ている日本人が間違われて殴られたこともあったそうです。

その裏には、産業法規を無視したやりたい放題の中国資本や後を絶たない不法入国、衛生観念の欠落、素行の悪さなどもあり、それらがモンゴルの新聞の見出しになっています。

特にモンゴルの極右団体は、極端な反中国運動を展開していて、中国人と関係が深かったモンゴル人を殺害するといった事件まで起きています。

代表的な極右団体にフフ・モンゴルなどがあり、構成員は数千人とされていますが、270万人のモンゴルの人口に対してですからかなりの割合となります。

韓国と北朝鮮が嫌悪される要因とは?

朝鮮半島は社会主義時代、「朝鮮」といえば北朝鮮でしたが、1990年に大韓民国との外交関係が樹立したため、両国は有効協定を破棄しました。

その結果、韓国の金大中大統領がモンゴル国を訪問したとき、北朝鮮はウランバートルの大使館を閉鎖しました。

その頃から、モンゴル国は外交官追放を行い、北朝鮮に対する姿勢を硬化するようになりました。

とはいえ、モンゴル国は北朝鮮と地理的な近さがあるため、国交は維持されたままで南北の双方に大使館を設置しています。

一方、韓国との関係はモンゴル経済にとって不可欠なものとなり、緊密な結びつきを深めています。

ウランバートル市内を走っている自動車の多くが韓国製であり、在留韓国人の数も在留日本人の倍以上いて、大規模な韓国系スーパーが進出しています。

また、韓国での不法就労するモンゴル人が増え、数万人のモンゴル人がソウル郊外の工場に潜んでいるといわれています。

モンゴルでは韓国の暴力団が多く、韓流を利用した就業詐欺などが横行したことなどから、嫌韓感情は急激に高まっています。

そのため、世論調査でもモンゴル人にとって嫌いな国の第2位となっているのが韓国です。

友好的な日本との関係

日本のモンゴルとの関係は古く、モンゴル国がモンゴル帝国時代にさかのぼります。

そもそも、チンギス・カンがモンゴル帝国という遊牧国家を創設したのが1206年であり、1268年にモンゴル帝国の第5代目であるクラビイの意向により、日本に対してモンゴル帝国に臣従することを要求するために、複数の使節団を日本に送り込みました。

当時のモンゴル帝国の日本侵略軍を元寇(げんこう)と呼ばれ、東アジアや北アジアを支配していました。

1268年といえば日本は鎌倉時代中期であり、結果的に日本側はこの使節団を追い返したため、クラビイは1274年に船900艘、兵士2万人の軍隊を日本の対馬へと送り込みました。

日本への最初の侵攻が文永の役であり、モンゴル帝国の軍隊は対馬と壱岐を制圧し、博多湾への上陸し博多を焼き討ちにしましたが、撤退途中で暴風雨の影響で船団は崩壊するなど日本への侵攻は無残な結果となりました。

その後もクラビイは日本への侵攻を続け、約15万人の兵力や4400艘からなる軍隊を日本に送り込みますが、全て失敗に終わっています。

元寇後も日本とモンゴル帝国との貿易は続いていましたが、モンゴルが中国本土から追われたことで、両者の関係は途絶えることとなりました。

20世紀になると日本が日清戦争で中国に勝利し、清の支配下にあったモンゴルは様々な国に対して国交樹立を求めていましたが、日本もその中にありました。

第二次世界大戦以降のモンゴルは、日本との関係は没交渉でしたが、1972年2月に共同コミュニケが発表され、国交が開かれました。

また、1977年の経済協力協定において、ノモンハン事件の対日賠償請求を取り下げるため、50億円を日本が無償贈与し、ウランバートルにカシミア工場を作っています。

1990年代、モンゴルの保護者的なソ連が手を引いたため、操業できなくなった事業所が多くなり、日本の多くのNGOがモンゴルに赴いたり、日本政府による多額のODAを供与して深刻な経済危機を救ってきた過去があります。

2004年の在モンゴル日本大使館による世論調査では、「日本に親しみを感じる」と答えたモンゴル人は7割を超え、また、「もっとも親しくすべき国」として日本は第1位となり、現在では日本とモンゴルは極めて良好な関係を築いているといえます。

数字から見たモンゴル国と日本の貿易

2011年時点で日本との貿易額は、輸出額256.89億円、輸入額は14.05億円です。

日本への主要輸出品目は石炭・蛍石といった鉱物資源や繊維製品であり、日本からの主要輸入品目は自動車、建設、鉱山用機械などがあります。

また、モンゴル国にとっての日本は、中国、ロシア、アメリカに次ぐ4番目の主要輸出国となっています。

近年における日本の外務大臣によるモンゴル訪問

日本の外務大臣は令和元年6月に河野外務大臣が、令和2年10月に茂木外務大臣が、それぞれモンゴル国を訪問しています。

河野外務大臣によるバトトルガ・モンゴル前大統領表敬

令和元年6月16日、日本の河野外務大臣はモンゴルのバトトルガ・モンゴル前大統領を表敬しています。

河野大臣はバトトルガ前大統領のリーダーシップにより、モンゴルの「戦略的パートナーシップ」が展開していることを歓迎し、引き続き両国間の関係が一層強化されることを期待する旨を述べました。

さらに新ウランバートル国際空港が、モンゴル経済の発展に大きく貢献することを期待すると述べ、早期開港の実現に向けてバトトルガ前大統領の協力を要請しました。

一方、バトトルガ前大統領からは約9年ぶりとなる日本の外務大臣によるモンゴル訪問が実現できたことを歓迎し、日本との「戦略的パートナーシップ」を重視している旨を述べています。

また、モンゴルにおける鉱物資源開発の現状やロシア・中国との港湾・鉄道などのインフラ協力をめぐる状況を説明しました。

茂木外務大臣によるバトトルガ・モンゴル前大統領表敬

日本の茂木外務大臣は、令和2年10月10日にハルトマー・バトトルガ・モンゴル前大統領を表敬しています。

バトトルガ前大統領は、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大の中での茂木外務大臣の訪問を歓迎し、両国の戦略的パートナーシップを象徴するものだと述べました。

さらにモンゴルにおける鉱物資源開発、鉄道建設の状況についての説明、日本との貿易・投資の拡大に向けての期待を述べています。

一方、茂木大臣からはモンゴル側の温かい歓迎に感謝する表明をし、バトトルガ前大統領のリーダーシップによって日本とモンゴルの戦略的パートナーシップの一層の強化を期待する旨を述べました。

また、ウランバートル新国際空港が観光をはじめ、モンゴル経済の発展に大きなインパクトを与えるプロジェクトであると述べ、ウランバートル新空港の円滑な開港・運営実現に向けてバトトルガ前大統領への協力を要請しています。

さらに、茂木大臣から「自由で開かれたインド太平洋」の実現に向けて、両国間での具体的な協力を勧めていく旨を述べ、拉致問題を含む北朝鮮への対応に両国で引き続き協力していくことも再確認しました。

まとめ

モンゴル国は19世紀まで、中国の清朝に支配されていましたが、1911年の辛亥革命から外モンゴルの王侯たちが清からの独立を宣言し、1992年にはモンゴル人民共和国からモンゴル国へ改称、新憲法を制定しています。

そんなモンゴル国の外交は、隣国の中国やロシアとのバランスを考えた外交を基準とし、両国に過度に依存せず、「第三の隣国」との関係を発展させてきました。

また、日本との関係を重視していて、様々なレベルでの交流をしながら、これまでも首相や外務大臣による表敬訪問を両国間で行い、二国間の関係を強化してきました。