モンゴルはこれからが期待される開発国!?モンゴル経済を知ろう!

世界は191ヶ国の国家がありますが、それぞれの歴史的背景により、決して平等に豊かというわけではありません。

欧米のような産業革命が早い時期に起こった国は比較的豊かであり、植民地支配が長かったアフリカでは未だに貧しさにあえいでいます。

幸運なことに、私達の住む日本は戦後、急速な発展を遂げ、経済大国となりました。

さて、モンゴルはどうでしょうか。

イメージとしては草原ばかりで、豊かなイメージを持っている方はそこまで多くないでしょう。

しかし、実際には今後が非常に期待できる、開発国だったのです!

モンゴル基礎データ

モンゴル、正式名称はモンゴル国です。

面積は156万4100平方メートルと、世界では18番目の広さを誇ります。

しかし、そこに住む人は323万8479人と、日本の一都市程度の人口しかいません。そのため、人口密度がかなり低く、2人/k㎡という数値は世界ワースト5です。

しかも、その人口のほとんどがウランバートルに居住しており、その他もエルデネトといった経済都市に集中しているため、広大な広がる草原にはほとんど人がいないというのが現状です。

民族は95%がモンゴル系、5%がカザフ系で構成されています。

モンゴル系民族の中でも様々な部族に分かれていますが、現在はウランバートルへの集中が進み、遊牧的な暮らしから脱却している部族がほとんどです。

そのため、部族間同士の混血が進み、今では部族間のアイデンティティが失われようとしています。

また、使用されている通貨がトゥグルグで、100トゥグルグ=3.96円程度です。

社会主義時代のモンゴル経済事情

現在、共和制国家として歩んでいますが、民主化が始まったのはつい最近なのです。

元々、近代のモンゴル国家は立憲君主制からスタートしましたが、君主であるジェプツンタンパ8世の死去を契機に社会主義体制化。

ソ連に次ぐ、世界2番目の社会主義国家になりました。

現在でも、その影響が色濃く残っており、例えば、首都ウランバートルの名前は「赤い英雄」を意味しています。

また、現在の政権与党がモンゴル人民党である等、未だに社会主義政党が強いという実情もあります。

さて、社会主義時代のモンゴル経済はどうだったのでしょうか。

ソ連の衛星国時代

ソ連の衛星国時代、モンゴル人民共和国(モンゴルの社旗主義政権時代の名称)は莫大な資金援助をソ連から得ることによって発展していきました。

ソ連のような重工業は発展しなかったものの、首都ウランバートルを中心として、軽工業の発達が顕著になります。しかし、それが現在でも問題になっているウランバートルへの人口一極集中の原因にもなりました。

モンゴルにとって最も大きかった開発はエルデネト鉱業の設立でしょう。

エルデネト鉱業はエルデネト鉱山に埋設される銅鉱石を掘る目的で現在も操業されています。

1978年に創業した時はソビエト連邦とモンゴル政府の合弁によって設立あれました。以来、エルデネト鉱業はモンゴル最大の企業として、モンゴル国内GDPの13.5%、国税収入の7%がまかなわれています。

また、農業分野では小麦を中心とした農業開拓、牧畜業の集団化が進められ、遊牧の衰退、定住化が進んでいき、文化が失われていったのです。

中ソ対立を背景に、モンゴルはソ連の莫大な後押しを受け、経済的にも発展を遂げた一方で、文化継承問題やソ連への依存度をますます高めていくことになりました。

ソ連崩壊直後

モンゴルにとって絶対的であったソ連に突然終わりが告げられたのです。

ソビエト連邦の崩壊はモンゴルだけでなく、東側諸国全体に大きな影響を与えることになりました。

特にモンゴルは第二次世界大戦以前からソ連との関係性が強く、崩壊による経済的打撃は現在でも続いています。

ソビエト連邦の継承国となったロシア連邦はまず、モンゴルに対してしていた多額の資金援助の返済を要求。

また、1992年、モンゴル国においても民主化が成立し、チョイバルサン市にいたロシア人労働者の流出による経済の衰退。

様々な事が重なった起きてしまい、モンゴル経済の発展は一度ストップしてしまいました。

しかし、現在は再びモンゴルとの関係性を強くしていこうというロシア連邦政府の思惑もあり、返還義務のあった資金の95パーセント以上をなかったことにしてくれるなど、モンゴルにとっては追い風となりました。

最近のモンゴル経済

2008年のグローバル金融危機後、資源価格の暴落により、外貨獲得収支が大幅に悪くなってしまいました。

その後、2010年に資源価格を持ち直し、エルデネト鉱業をはじめとした各資源企業は海外の投資をどんどんと受け入れます。

安定した外貨の獲得はモンゴル経済の活性を促し、2011年~2013年にいたる3年間もGDP成長率2桁を達成したのです。

しかし、実際には資源価格が2011年ごろに頭打ちになってしまい、その後は長期低迷の局面に入ってしまいます。

モンゴルの資源主要輸出先であった中国が景気減速になったこともあり、モンゴル政府は資源の在庫処理を迫られることになります。

こうした外的要因により、2013年以降のモンゴルでは、急速な成長減速を引き起こしてしまったのです。

2013年には+11.6%あったGDP成長率も2020年現在では−5.3%と苦境に立たされています。

それに伴い、通貨トゥグルグの為替相場も低迷し、中国の中央銀行と通貨スワップを交わし、頼らざるを得ない状態に。

現在のモンゴル経済も決して良好というわけではないのです。

モンゴルの貿易

モンゴルは社会主義政策の放棄後、東アジアの国々を中心に、洋の東西問わず、様々な国との貿易を行っています。

モンゴルの貿易事情を見ていきましょう。

貿易相手国

主な輸出相手国は中国、カナダ、イギリス、ロシア、ルクセンブルクがあげられます。

とりわけ、中国との貿易額は2009年時点で1,392,324,000ドルと、これは全体の73.8%にも及びます。

昨今は更に中国経済への依存を深め、90パーセント以上を中国輸出に頼っているのが現状です。

1990年代、ソビエト連邦が崩壊して以降、ロシア連邦との輸出額は激減。

それまで蜜月関係を築きあってきた両国ですが、2009年時点でも68,205,000、全体の3.6%しかありません。

ちなみに日本への輸出額は4,564,000ドルで、全体の0.2%です。

対して、輸入に関してはそこまで中国偏重というわけではありません。

中国からの輸入額は531,669,000ドルで、比率は24.9%。これは、第二位の輸入相手国です。

1位はロシアの772,815,000ドルの36.2%。

ちなみに日本からの輸入もそこそこ多く、97,054,000ドルは相手国第5位です。

モンゴルは現在、中国との経済関係を重視しており、「シルクロード経済ベルトと21世紀海洋シルクロード」、いわゆる一帯一路構想にも批准しています。

しかし、国民の中での反中感情は非常に高いものです。

旅行の際は、日本人も中国人に間違えられないようにしないといけないほどです。

ここまで反中感情が悪いのは、歴史的に何度も中国から侵略されてきたことが原因です。

文化大革命期の内モンゴル自治区における弾圧はモンゴル国にまで語り継がれており、モンゴル人の圧倒的多数は今でも中国人に対して好感を持っていません。

最近では、中国と対立する台湾政府との交流も探っており、2002年以降には、大使館に相当する窓口機関を設置しています。

今後、モンゴル経済がどう動くのかはいかにチャイナリスクと国民感情をマネジメントしていくかにかかっているのです。

主な貿易品目

モンゴルはどのような製品を輸出し、どのような製品を海外に頼っているのでしょうか。

輸出品目

まずは輸出品目から見ていきましょう。

主に、資源が第一の輸出品目になります。

特に、銅鉱石については世界でもトップレベルの産出量を誇ります。

中国への輸出だけでも501,749,000ドルを誇り、これは全輸出額の36%以上にものぼります。

前述の通り、モンゴルはソ連との共同出資により、エルデネト鉱業と呼ばれる資源企業を立ち上げています。

実は、この企業は全世界でも第4位の産出規模を誇ります。

次に、石炭も主要な輸出資源です。

石炭もほとんどを中国に輸出しています。中国は石炭の産出量世界一を誇る国家ですが、同時に世界最大の消費国でもあるため、自国生産では追いつきません。

そのため、モンゴルといったアジアの隣国からも石炭を買い集めているのです。

資源以外の輸出品目は主に食肉系です。

特にロシアへの輸出が多い傾向にあります。

牛肉はもちろんのこと、馬肉の産地としても知られています。

また、少量ではありますが、イギリスには羊毛をはじめとした粗獣毛の輸出も行っているようです。

輸入品目

次に、輸入品目を見ていきましょう。

石油製品がその多くをしめます。モンゴルも石油を産出できる国ですが、石油製品を加工することはあまりせず、輸入に頼っています。

全輸入額の26.6%にまでのぼります。

次に、機械・機器類の19.8%、車両等の12.6%と、重工業系機械が目立ちます。

ソ連時代から軽工業に力を入れていた国柄だったので、こういった重工業は国内でまだ発達していないようです。

他にも、食料品が目立ちます、

ぜんたいをしめる割合としては8.5%と少な目に見えるかもしれませんが、食肉を除く、食料の多くをゆにゅに頼っています。

モンゴルの国土は野菜の栽培には向いておらず、一部の穀物類しか育ちません。

加えて、近年の人口増加や経済成長、都市部への一極集中により、食文化の多様化が生まれました。

国内のみでは国民の消費カロリーを賄えない状況が続いています。

これからのモンゴルがなぜ期待されるのか!?

まだまだ経済事情の安定しないモンゴルですが、今後モンゴルの経済が期待されるようになるかもしれません。

今後のモンゴルの展望と、なぜ期待されるのかを説明していきます。

豊かな観光資源

国として、まだまだ進めているわけではありませんが、モンゴルはかなりの観光資源があります。

海のない国なので、洋上開発はできませんが、内陸国特有の風土は全世界を見ても似たものがないほどです。

広がる大草原とそこに暮らす遊牧民の独特な文化が今でも色濃く残っています。

移動式住居ゲルも、社会問題にはなっていますが、首都ウランバートルでも愛用されているほどです。

モンゴルに訪れる観光客は社会主義の放棄と政情の安定化により、年々増加傾向にあります。

旅行会社は450社を超え、2006年には40万8500人だった観光客が1年で11.3%も増加しました。

ウランバートル市では2030年までに観光客を年間500万人まで増やす計画をしています。

コロナウィルスの全世界流行により、昨今はどのような国でも観光客が激減していますが、今後のモンゴル観光政策に注目ですね!

資源立国を目指す

前述の通り、モンゴルは輸出品目のほとんどを鉱山資源に頼っています。

広大な国土を有するモンゴルは人口こそ少ないですが、埋蔵している資源の量は日本の数十倍です。

北部にあるエルデネト鉱山を始め、南部にはタバン・トルゴイ石炭鉱区、オヨー・トルゴイ鉱区、東部にドルノド鉱床といった開発地区を保有しています。

それぞれの鉱区からはどのような資源が産出されるのでしょうか。

先にあげた銅や石炭を始め、金や鉄鉱石、タングステン、モリブデ、蛍石、ウラン、原油等、種類はかなり豊富にあります。

中でも、産業上重要性の高いモリブデンの埋蔵量は世界屈指。現在、その産出は技術的に追いついていませんが、今後、世界経済を動かすほどの資源大国になるでしょう。

まとめ

更に深まる日本との関係

近年、日本との関係性が更に重要視されています。

日本は開発途上国に対する援助(政府開発援助ODA)を通じて各発展途上国との関係性を築いてきました。

それはモンゴルも例外ではありません。

冷戦時代はソ連との関係性が深すぎて、結果として1990年代、ソ連の崩壊によりモンゴルは経済の後ろ盾を失いました。

そんな中、日本からのODAはその後のモンゴル経済発展に大きく寄与しました。

ODAは現在でも継続されており、モンゴルは日本をロシアや中国に次ぐ国境を接さない第三の隣国として親しんでいます。

今後もモンゴルと日本が安定的、平和的に付き合っていけるといいですね!