モンゴルは面積156.4平方キロメートルの結構広い国土面積を持つ国です。
日本(37.8平方キロメートル)と比較しても、4倍もの面積を誇ります。
しかし、そのほとんどは砂漠や草原であり、人の住むことができる場所は限られます。
可住面積が国土に対して狭いというのは、山や谷ばかりの日本と共通している部分があるかもしれませんね。
さて、モンゴルの地図と言えば、ウランバートル市しか知らないという人も多いのではないでしょうか。
本記事では、モンゴル地図について、観光地情報を交えて解説していきます。
モンゴル国はこんな国
まずは、モンゴルが世界地図においてどのような位置にあり、どのような国であるのかを見ていきましょう。
東アジアの隣国として、身近に感じるようで遠いモンゴルの実態がわかります。
隣接国
モンゴルは日本と同じ東アジアに位置する共和国です。
一昔前はソビエト連邦と中華人民共和国という2つの共産主義国家に挟まれていました。そのため、昔はモンゴルも共産主義国家でした。
余談ですが、世界でソビエト連邦に次いで出来た、社会主義国家がモンゴルだったのです。
中ソが対立するようになってからは中ソ国境の緩衝国家として機能しており、主にソビエト連邦の庇護を受けていました。
現在はそのソビエト連邦が崩壊し、ロシア連邦と国境を接するようになっています。
現在でも、ソビエト連邦の後継国たるロシア連邦との仲は良好であり、ロシア語表記に使われるキリル文字も頻繁に使われているようです。
対して中国との関係はそこまで良くないようで、これも中ソ対立時代と関係あるのかもしれませんね。
人口・GDP等基本情報
モンゴルの人口はわずか320万人程度しかいません。これは、世界131位と、かなり少ない方です。
対する面積は前述の通り、世界の中でもかなり広い方でその順位は18位。
面積が広く、人口が少ないため、人口密度はわずか2人/キロ平方メートルしかないのです。
これはなんと、世界でも最下位です。諸地域を合わせたランキングでも、ピトケアン諸島の1.19人/キロ平方メートルに次ぎます。
GDPは130億ドルと、これもまた世界132位。後発国として、日本からも多額の援助を受けているようです。
モンゴル主要観光地はここ
日本に比べても、人が非常に少ないモンゴルだからこそ、日本や他の国々では見られないような観光地もあります。
ここからはモンゴルの地図を広げ、各都市を紹介しながら、主要な観光地を探っていきましょう。
ウランバートル
モンゴルの地図や都市を語る上で、まずウランバートル市は外せないでしょう。
ウランバートルはモンゴル語で「赤い英雄」を意味しており、共産主義国家時代の影響を色濃く残しています。
ウランバートル市はモンゴルの中心からやや北東に位置する都市です。その人口はおよそ147万人と、モンゴル全人口の半数程度が集まる、極端な一極集中都市になっています。
その人口はますます増え続けており、名実ともにモンゴルの政治経済の中心地です。
また、中国・ロシア・中国をつなぐ、国際鉄道の主要な中継地でもあります。
主な観光地として、まずはガンタン寺院が挙げられます。これは、1838年、モンゴル工程ボグドハーンが建立したチベット仏教寺院です。
モンゴルとチベット仏教は歴史的にも密接なつながりがあります。
共産主義政権時代は抑圧されていた歴史もありますが、民主化以降、復活を遂げており、ますますモンゴル人の生活にチベット仏教が根付いているようです。
また、テレルジ国立公園は世界でも1、2を争う避暑地として有名です。
春から夏にかけては地面に鬱蒼と高山植物が生えそろい、モンゴルらしい風景を見ることができるでしょう。
モンゴルならではの乗馬を楽しむこともできます。
チョイバルサン
チョイバルサンはモンゴル東部にある都市の一つです。
人口は38,150人と、日本の小都市程度の人口しかいませんが、都市としては国内でも第4位の人口規模を誇ります。
総面積は281平方キロメートル、標高は最大で747メートルにまで達します。
古来から交易の要衝であり、19世紀には市としての成立が確認されているようです。
1992年の民主化の影響により、失業者が増えてしまい、現在でも経済は大きく衰退しています。
しかし、昨今は経済の活性化のため、2015年にはウランバートル市まで高速道路が開通するなど、利便性を獲得。
さらに、シベリア鉄道支線と東部貨物船の終着駅として、更に重要な役割を担っています。
ウリヤスタイ
ウリヤスタイは首都ウランバートルから西1115キロメートルの場所に位置する、ザブハン県の県都です。
人口は16,240人で、モンゴル全国16位。2000年の国勢調査では更に増加傾向にあります。
標高は最大で1753メートルにも達するため、モンゴルの中でもかなり高い位置にある都市です。
しかし、市街地から西25キロメートルの場所に空港が整備されているため、利便性は向上しています。
サインシャンド
モンゴル南東部にある都市の一つで、ドルノゴビ県の県都です。
サインシャンドのある場所はゴビ砂漠の東部にあたりますが、その人口は2万人を超えています。
市内には、チベット仏教ニンマ派の指導者タンザンラブジャーを記念した博物館があるだけでなく、僧院(出家修行僧が共同で生活する寮のような場所)もあるなど、チベット仏教との繋がりを感じさせてくれる都市です。
オラーンゴム
モンゴル西部に位置する都市であり、オブス県の県都です。
ロシアとも国境を接しており、国境までならハイウェイが連絡してくれています。
また、オラーンゴム近くにあるウヴス・ヌール湖はモンゴル国最大の湖であり、世界遺産にもロシアと共同で認定されています。
中央アジアの自然がほとんど手つかずで残っていることや、スキタイ・テュルクの遺跡が発見されていることが評価され、自然遺産として2003年に登録されました。
湖を含めた盆地には、絶滅危惧種の哺乳類41種類、鳥類173種類が確認され、この湖がいかに手つかずであるのかがわかるでしょう。
ちなみにオラーンゴムはモンゴル語で「赤い砂」を意味します。
共産主義時代との関係性を、ここでも感じさせてくれる命名ですね。
バヤンホンゴル
バヤンホンゴルはバヤンホンゴル県の県都であり、モンゴルの中心部に位置します。
標高は海抜1859メートルと、この都市もかなり高い位置にあるのです。
人口は2万6000人程度で、モンゴルの都市の中ではそこそこ多い方ですが、自然は非常に豊であるのが特徴的。
北部には山、南部には砂漠、また、砂漠には湖や川、温泉やオアシスなどがあり、そこには野生のラクダやロバが生息しています。
ホブド
モンゴル西部にあるホブド県の県都です。
人口は2万8000人程度で、面積は80キロ平方メートル。
17世紀、オイラト部族ジュンガル帝国の部族長、ガルダン・ハーンが市街の建設をしました。
元々は戦争相手であった東トルキスタンや中央アジアの虜囚を軟禁するための町でしたが、虜囚が持っていたノウハウを活かし、園芸学が発展していったと言われています。
エルデネト
「富と共に」という都市名の由来からわかるように、経済的にかなり発展した都市です。
人口8万6000人はモンゴル国内でもウランバートル市に次ぐ第二位。
なぜそこまで発展できたかと言うと、鉱山の存在が非常に大きいと言われています。
エルデネトにある鉱山は世界でも4番目に大きい銅鉱であり、1975年に建設されました。
そこから、鉱山働きを求めて人口は激増。
1975年時点では4100人しかいなかった人口が1979年には3万1900人まで増えました。
その後、現在に至るまで年間2223万トンの鉱石が採掘され、12万6700トンの銅と1954トンのモリブデンが精製されています。
この鉱山だけでも、モンゴル国内の国税収入の7パーセント、GDPの13.5パーセントがまかなわれています。
ダルハン
ダルハンは人口74300人と、モンゴル国内第三位の都市人口を持ちます。
近隣に鉱山都市エルデネトがあるため、ダルハンは工業都市として発展していきました。
また、2015年時点では、ナラン総合学校という、日本語教育を行う私立学校が存在しました。
そこでは、日本人女性も働いており、日本とモンゴルの繋がりを感じさせてくれる都市でもあるのです。
ハトガル
モンゴル北部、フブスグル県の北側にある、人口わずか4000人ほどの港町です。
港町と聞いて、違和感を覚えた人もいるのではないでしょうか。モンゴルには海がないのに、なぜ港があるのかと!
実は、ハトガルの北側にはフブスグル湖と言われる、モンゴルで2番目に大きい湖があります。
ハトガルからセレンゲ川を経由し、バイカル湖まで航行することができるのです。
かつてはモンゴル海軍の活動領域でもありました。
フブスグル湖はアジアの淡水湖の中では有数の水量を誇り、全世界の淡水の0.4パーセントがここにあります。
また、水質が非常に良いため、加熱殺菌などの処理をしなくてもそのまま飲むことができるのです。
反面、きれいすぎる湖は栄養素があまりなく、広い湖でも獲れる魚は限られており、漁業はそこまで活発ではありません。
モンゴルの地理
モンゴルは日本とは違って非常に広い平野が続きます。
地平線に沈む夕日の美しさは世界でもトップを争えるレベルです。
モンゴルにはどのような地理的特徴があるのか見ていきましょう。
モンゴルの草原
モンゴル国の東にあるモンゴル高原は、日本人にとってイメージしやすいモンゴルそのままの風景が広がっていると思われがちです。
しかし、実際には標高が1000メートル前後もあり、中央部はほとんど砂漠なのです。
近年では砂漠化が顕著に広がっており、モンゴルらしい広々とした草原の風景が失われるかもしれないと危惧されています。
現在、モンゴル国の国民の1割が今でも遊牧民的な暮らしを行っており、そのほとんどがモンゴル高原に所在しています。
モンゴル高原は非常に平坦であるにかかわらず、未だ鉄道網は未発達で、まるで中世のモンゴル時代にタイムスリップしたかのようか気分を味わえるでしょう。
モンゴルに旅行するのであれば、絶対に訪れたい場所の一つです。
モンゴルの砂漠
中国の内モンゴル自治区からモンゴル国にかけて広がる砂漠です。
モンゴル側から見て南~南東にかけて広がっています。
東西約1600キロメートル、南北970キロメートル、総面積130万キロ平方メートルは世界で4番目の大きさを誇る砂漠です。
中国側では、想像しやすい砂の砂漠が広がっていますが、モンゴル側はどちらかと言えば礫やちょっとした下草があちこちに点在している砂漠が広がります。
雨雲がヒマラヤ山脈に遮られてしまうため、非常に乾いた空気しか流れ込んでこず、年間雨量はごくわずか。
しかも、夏場は45℃を超えるのにも関わらず、冬場にはマイナス40度になることも少なくはありません。
毎年、日本で黄砂飛来が問題になっていますが、その黄砂はこのゴビ砂漠から運ばれてきたものです。
こんな砂漠になんて誰も行きたがらいと思うかもしれませんが、意外にもコアなファンはいます。
広大な自然を感じるという意味では、モンゴル高原の大草原にも負けません。
空気が非常に澄んでいるだけでなく、乾燥し、尚且つ標高も高いということから、星が怖いくらいたくさん見ることができるのもゴビ砂漠の良いところです。
ただし、砂漠まで車を借りて一人で・・・というわけにはいかず、必ずガイドを付けて向かうことがおすすめです。
まとめ
内モンゴルとモンゴルの関係性
モンゴル地図について、非常によく理解できたのではないでしょうか。
しかし、モンゴル周辺の地図を見てみると、中国の中にもモンゴルがあることに気づいた方も多いのではないでしょうか。
先ほどからちらちらと出てきていますが、その地域は内モンゴル自治区と呼ばれており、元々はモンゴル部族の土地でした。
清の時代、モンゴルが中華帝国の支配下になって以降、中国が支配するようになりました。
現在でも、内モンゴル自治区の20パーセント程の人がモンゴル人であり、生活をしています。
昨今では、各民族に対して同和政策を推し進める中国政府ですが、これからの内モンゴル自治区の動向に注目ですね。