モンゴル人力士はなぜ強い?モンゴル人力士の一覧や強さの秘密を紹介

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今やモンゴル人力士たちの活躍は、日本相撲界にとってなくてはならないものです。まげを結った彼らの姿は日本人と見分けが付かないほどですが、考え方や文化には違いを感じることが少なくありません。本記事では、モンゴル人力士の紹介や彼らの強さの源について紹介します。

 

日本相撲界のモンゴル人力士の現状

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モンゴル人力士が日本相撲界に登場したのは、1992年春場所のこと。現在では「部屋持ち親方」となったモンゴル人力士もおり、日本相撲界におけるモンゴル人力士の存在は決して小さくはありません。

まずは、現在どのようなモンゴル人力士がいるのかをチェックしてみましょう。

現役モンゴル力士一覧

現在、幕下・幕内含め、モンゴル人力士は20名在籍しています。(2021年7月時点)

番付 力士名 部屋
東横綱 白鵬(はくほう) 宮城野
東大関 照ノ富士(てるのふじ) 伊勢ヶ濱
西前頭二枚目 逸ノ城(いちのじょう)
西前頭五枚目 豊昇龍(ほうしょうりゅう) 立浪
西前頭六枚目 霧馬山(きりばやま) 陸奥
西前頭七枚目 千代翔馬(ちよしょうま) 九重
東前頭十枚目 玉鷲(たまわし) 片男波
西十両六枚目 水戸龍(みとりゅう) 錦戸
西十両七枚目 東龍(あずまりゅう) 玉ノ井
西十両十枚目 旭秀鵬(きょくしゅうほう) 友綱
東十両十二枚目 大翔鵬(だいしょうほう) 追手風
西幕下十三枚目 北天海(ほくてんかい) 尾上
西幕下二十一枚目 出羽ノ龍(でわのりゅう) 出羽海
西幕下二十三枚目 玉正鳳(たましょうほう) 片男波
西幕下二十五枚目 陽翔山(ようしょうやま) 時津風
東幕下三十四枚目 魁(さきがけ) 芝田山
西幕下四十六枚目 佐田ノ輝(さだのひかり) 境川
東三段目五枚目 北勝丸(ほくとまる) 八角
西三段目五七枚目 荒馬(あらうま) 伊勢ノ海
東序の口十八枚目 鏡桜(かがみおう) 伊勢ノ海

参考:日本相撲協会公式HP

日本相撲界で人気を博したモンゴル人力士

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モンゴル人力士の強さは日本相撲界を席巻し、「モンゴル軍団」などとも呼ばれました。

ここからは、その中でも特に人気・知名度の高いモンゴル人力士を紹介します。

旭鷲山(きょくしゅうざん)

モンゴル人力士の先駆者ともいる力士。ウランバートル出身で、本名は「ダヴァー・バトバヤル 」です。1991年に来日し、92年3月に日本相撲界初のモンゴル人力士として土俵を踏みました。

当初はさほど期待されていなかったものの、95年3月に十両、96年9月に幕入りと順調に昇進。初のモンゴル人関取誕生にモンゴルは大いに湧き、モンゴルでも相撲ブームが起ったほどです。幕内に入ってからの旭鷲山は多彩な決め技を披露し、「技のデパートモンゴル支店」という愛称が付くほどの人気を博しました。

その後2006年に引退し、母国モンゴルに帰国。モンゴルの国会議員に当選して大統領特別補佐官に就任するなど活躍し、現在はモンゴル相撲協会の会長を勤めています。関取時代に早稲田大学で学んでいたことから、現役時代は早稲田カラーのえんじ色のまわしがトレードマークでした。

旭天鵬(きょくてんほう)

旭鷲山とともに、日本におけるモンゴル人力士の道を開いた力士。ウランバートル・ナライハ出身で、帰化する前の本名は「ニャムジャウィーン・ツェウェグニャム」です。現在はモンゴル人力士初の部屋付き親方として、後進の指導に当たっています。

角界デビューは1992年ですが、初優勝は2012年の夏場所です。37歳8カ月での優勝は史上最年長。しかも初入幕から86場所目の優勝というのも、史上最も遅い優勝でした。

その後40歳で引退するまで、旭天鵬は幕内力士として相撲を取り続けました。相撲への愛情や真摯な態度は人々の感動をよび、「相撲界のレジェンド」と尊敬されています。

モンゴル出身の力士はさまざまいますが、母国モンゴルでの相撲ブームを牽引したのは、間違いなく旭天鵬・旭鷲山です。日本相撲界にその名を刻む名横綱・朝青龍・白鳳は、彼らの姿にあこがれて日本相撲界を目指したといわれています。

照ノ富士(てるのふじ)

平成生まれ(1991年)で、令和初の横綱となることが決まったモンゴル人力士。本名は「ガントルガ・ガンエルデネ」で、ウランバートル出身です。

2015年に大関に昇進して以降序二段にまでランクを落としましたが、見事復活。幕内優勝・大関復帰を果たし、2021年7月に横綱昇進が決まりました。このような激しいアップダウンをしたのは、相撲界の長い歴史の中でも照ノ富士しかいません。

なお、照ノ富士の才能を見いだしたのは、横綱・白鳳の父親でモンゴル相撲の元横綱「ジジド・ムンフバト」さんだったとか。「すごい子がいるよ」と関係者に話していたそうです。

日馬富士(はるまふじ)

第70代横綱。本名は「ダワーニャム・ビャンバドルジ 」で、ゴビ・アルタイ県の出身です。2001年1月に初土俵を踏み、12年11月に横綱に昇進しています。

現役時代は軽量さを生かしたスピードのある相撲で、大いに茶の間を沸かせました。白鳳とならぶ存在感のある横綱でしたが、暴行事件が発覚。相撲界を揺るがす大問題に発展します。結果、日馬富士は追い込まれるような形で引退届を提出し、17年11月をもって相撲界を引退することとなりました。

モンゴル帰国後は「日本とモンゴルに貢献したい」との思いから「新モンゴル日馬富士学園」という小中一貫教育校を設立しています。

学校経営の傍ら自身は「城西国際大大学院」で学び、2021年に修了。修士論文として提出した「『新モンゴル日馬富士学園』創設プロジェクト―全身全霊で行う小中高一貫教育―」はその内容を高く評価され、優秀論文賞を受賞しました

白鳳(はくほう)

第69代横綱で、双葉山の69連勝に次ぐ63連勝の記録を持ちます。帰化する前の本名を「ムンフバト・ダヴァジャルガル」といい、ウランバートル出身です。

白鳳は「ブフの大横綱でメキシコオリンピックの銀メダリスト」という英雄のような父と、チンギス・ハーンの血を汲む元外科医の母の元に生まれました。

来日したのは2000年のことですが、当時の白鳳はとても体が小さかったのだとか。おかげで所属する部屋がなかなか決まらず、最終的に当時弱小部屋といわれていた「宮城野部屋」に入門することとなりました。

その後04年に新入幕を果たし、07年に横綱に昇進します。横綱・朝青龍と共に相撲界を盛り上げ「青白時代」を築きました。10年に朝青龍が引退した後は「一人横綱」として重責を背負い、連勝を続けます。連勝記録は63まで伸び、昭和以降の横綱では歴代1位となりました。

このほか「幕内勝利通算1,000勝」「幕内優勝40回」など、さまざまな記録を更新。大横綱として現在もまい進を続けています。

朝青龍(あさしょうりゅう)

第68代横綱で、現在はモンゴルにて実業家として活躍中。本名は「ドルゴルスレン・ダグワドルジ」で、ウランバートル出身です。

彼の兄「ドルゴスレン・スミヤバザル」氏はアトランタ・シドニーオリンピックのレスリング・モンゴル代表として活躍した格闘家。2020年の選挙で当選し、現在はウランバートル市長を務めています。また、現在幕内で活躍中の「豊昇龍」は、朝青龍の甥です。

朝青龍は1997年に相撲留学により来日しました。99年に初土俵を踏み、2001年には幕入りを果たします。初土俵から25場所という史上最短の早さで横綱に昇進し、05年には全ての場所で優勝するという史上初の「完全制覇」を成し遂げました。

モンゴル人力士の黄金期を築いた横綱でしたが、気性の荒さが反感を買いヒールのような扱いを受けるようになります。

10年には素行問題から横綱として初の「引退勧告書」を受け、引退。その後はモンゴルに帰国して、日本・モンゴル友好の架け橋としてさまざまな活動を行っています。

モンゴル人力士が強い理由

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旭天鵬・旭鷲山の登場以降、続々と誕生したモンゴル人力士。一時期に比べ日本人力士も頑張っているとはいえ、横綱はモンゴル人力士に独占されています。

モンゴル人力士の圧倒的な強さは、一体どこからくるのでしょうか?モンゴル人力士の強さの秘密について考えてみましょう。

1. 自然に親しんだ生活

モンゴル人力士の中には、子どもの頃から草原で足腰を鍛える暮らしをしている人が少なくありません。例えば小さい頃から馬を乗りこなしていれば、バランス感覚が身に付きます。あるいは水汲みを任されていた子どもなら、1日数キロも重たい水を持ち運ぶこともあったでしょう。

昔の日本ならいざ知らず、都会育ちの日本人にはこのような生活にちなむ肉体労働はありません。生活そのものがトレーニングのようなモンゴル人力士とは、子どものころから大きな差が生まれてしまうのです。

2. ハングリー精神

異国から全く未知の世界に足を踏み入れるには、それなりの覚悟が必要です。日本人もそれなりの覚悟を持っているでしょうが、モンゴル人力士の方がより切実であることは間違いありません。「頑張って上に上がりたい」「簡単には帰れない」などといった崖っぷちに立つ気持ちが、彼らをさらなる練習に駆り立てるのです。

また相撲はスポーツではありますが、国技であって極めて日本的な一面があります。

「礼儀」「しきたり」などにおいて堅苦しい部分が多く、現代の若者の価値観に合わない部分が少なくありません。苦労すると分かっていて「力士を目指そう」という若者は日本では少なく、層が薄くなってしまうのです。ハングリー精神のあるモンゴル人力士たちの方が、苛烈な環境にもじっと耐え忍ぶ忍耐力を持っています。

3. 国民気質

遊牧民としての歴史・伝統を持つモンゴル人は、基本的に個人主義です。自分が1番になりたいと思えばがむしゃらにまい進し、他者への手加減もありません。「強い者が勝ち弱い者が負ける」という弱肉強食の思考が身に付いており、勝利にどん欲です。

これに対し日本人は、何かと周囲の目を気にしてしまいます。自分が突出することを好まない人も多く、勝利にどん欲になることにためらいも感じるでしょう。

いわれたことをやるのは上手いけれど自分から行動することができない…、日本人にはこのような人が多く、これがときとしてモンゴル人力士と大きな差となって現われます。

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モンゴル人力士が反感を持たれやすい理由

横綱・朝青龍は、かつて横綱としての品格がないとして激しく非難されました。「汚い言葉で相手を罵倒」「土俵でガッツポーズ」…、こうした言動が横綱にふさわしくないと考えられたためです。

「品がない」という批判は、現在も土俵を守り続ける大横綱・白鳳とも無関係ではありません。ちょっとした言動がいちいち取り沙汰され、「品がない」などといわれます。

しかしこれも、日本人とモンゴル人の気性・考え方の違いといえる部分です。

基本的にモンゴル人は思ったことをはっきりといいます。自分が素晴らしいことをしたと思えば謙遜することはなく、周囲にアピールすることをためらいません。「多くを語らないことが美徳」と考える人は、白鳳が「史上初の…」「前人未踏の…」などと自分で語ることに対し、違和感を覚えてしまいます。

モンゴル人力士ならではの自信の強さ・プライドの高さは、日本人力士にはなかなか見られないものかもしれません。外見が似ているため忘れがちですが、「モンゴル人と日本人の国民性は大きく異なる」ということは理解しておくべきでしょう。

モンゴル相撲と日本の相撲の違い

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モンゴルの相撲は「ブフ」と呼ばれ、国民的な人気スポーツの一つです。「相撲」とはいえレスリングの一面も強く、土俵の中で争う日本の相撲とは若干趣が異なります。

モンゴル相撲「ブフ」について見ていきましょう。

1. 概要

ブフは紀元前3世紀頃からあったとされる、モンゴルの相撲です。日本の相撲と同様に神に捧げる神事としての一面があったほか、軍事訓練の役割も兼ねていたといわれます。

特に日本の相撲と大きく異なるのは、さまざまな流派が存在する点です。

現在モンゴル国で主流なのは「ハルハ・ブフ」とよばれるもので、近年はプロリーグも登場しています。このほか大きな流派として、主に内モンゴルで行われる「ウジュムチン・ブフ」もあります。両者はルール・衣装・しきたりなどで細かな違いがありますが、垣根を越えた交流もしばしば行われているそうです。

現在モンゴル国でブフを見る最もよいチャンスは、7月のモンゴル独立記念日に開催される「ナーダム」です。この日は「競馬」「弓射」「ブフ」が行われ、多くの人々が戦いの様子を楽しく見学します。

かつて、皇太子時代の天皇陛下も、モンゴル訪問の折にナーダムを観覧されました。

2. 流れ・ルール

ハルハ・ブフでは、フテチ(力士)はまず鷹の舞を披露して入場します。

その後お互いに組み合い、相手の頭・背中・尻・肘・膝を先に地面に付けた方が勝ちです。土俵がないこと、手のひらを付いてもOKな点などは日本の相撲とは異なります。加えて繰り出す技のバリエーションが多く、600種類以上の決め技があるのだそうです。

かつて多彩な技で注目された旭鷲山は、モンゴル相撲の技を多数日本相撲界に持ち込んだといわれています。

3. コスチューム

フテチたちは以下のものを着用して対戦に臨みます。

  • ジャンジン・マルガイ(将軍帽)
  • ゾドク(ベスト)
  • ショーダク(パンツ)
  • グダル(ブーツ)

日本の相撲よりは着用するものが多くありますが、内モンゴルのウジュムチン・ブフはこれよりさらに多彩です。

  • 首飾り(ジャンガー)
  • 革製のベスト(ゾドク)
  • ブーツ(ゴダル)
  • 足袋(トリクチ)
  • ズボン(バンジル)
  • 膝あて(トーホー)

 称号

ブフの勝者には称号が与えられます。これは日本の相撲における番付のようなものです。

称号 成績
隼(ナチン) 16位(五回戦進出)
大鷹(ハルツァガ) 8位(六回戦進出)
象(ザーン) 4位(七回戦進出)
迦楼羅天(ガルディ) 2位(準優勝)
獅子(アルスラン) 1位(優勝)

さらに獅子(アルスラン)が優勝を重ねると、以下のように呼ばれます。

称号 成績
アヴァラガ(巨人) アルスラン称号の力士が再度優勝
ダライ・アヴァラガ(偉大な巨人) アヴァラガが再度優勝
ダヤン・アヴァラガ(世界の巨人) ダライ・アヴァラガが再度優勝
ダルハン・アヴァラガ(聖なる巨人) ダヤン・アヴァラガが再度優勝

白鳳の父親はナーダムで6回優勝しダルハン・アヴァラガ(聖なる巨人)の称号を持っていました。2018年に亡くなるまで、国民的な英雄として広く愛されていたそうです。

モンゴル人力士をきっかけにモンゴルにも興味を持とう

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モンゴルから来た力士は、今や日本相撲界を牽引する存在といっても過言ではありません。文化の違いによる誤解はさまざまありますが、「勝ちへの執念深さ」「我が道を信じて進む強さ」は日本人も見習うべきといるのではないでしょうか。

相撲をきっかけにモンゴルに興味を持った人は、ぜひモンゴルという国そのものにも興味を持ってみてくださいね。

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