人口1億人以上という圧倒的な内需のもと栄えてきた日本は今、「少子高齢化」という大きな問題に直面しています。世界でも類を見ない超高齢社会が今後どうなっていくのか、不安を抱える人も少なくありません。
一方で、堅調な出生率と人口増加率をキープしているのがモンゴルです。人口こそ日本より少ないものの、良いペースで人口増加を続けています。本記事では、モンゴルの人口や人口構成、さらには遊牧民の人口、人口の多いモンゴルの都市などを紹介します。
モンゴルの人口について
総務省統計局によると、日本の人口はおよそ1億2,571万人です。(2020年12月時点)それでは、モンゴル国の人口はどのくらいなのでしょうか。
モンゴルの人口や人口密度について詳しく見ていきましょう。
モンゴル全土の人口はどのくらい?
2020年1月にモンゴル全土で行われた国勢調査によると、モンゴル国の現在の人口は329万6,866人、世帯数は897,427であると判明しました。
調査を実施した「モンゴル国立統計局」によると、2010年の調査からモンゴルの平均年間人口増加率は2.2%に上るそうです。
モンゴルの「労働社会保護省」は、モンゴルの人口は2030年までに400万人、2045年までに500万人増加するという見通しを発表しており、今後もモンゴルの人口は堅調に増えていく見込みです。
また、モンゴルの人口の構成年齢は以下の通りです。
年齢 | 比率 |
0~14歳 | 31.5% |
15~64歳 | 64.4% |
65歳以上 | 4.1% |
ちなみに、日本の人口を見てみると、65歳以上が3,588万5千人、75歳以上が1,849万人。人口比はそれぞれ28.4%と14.7%です。(2019年:総務省統計局調べ)
モンゴルがいかに若い国かよく分かりますね。
モンゴルの民族の割合
モンゴルの人口のうち、およそ95%はモンゴル族です。残りは少数民族となりますが、そのうち最も多いのがカザフ民族。人口比では4%程度ですが、10万人以上いるといわれます。主に西部のバヤンウルギー県で暮らしています。
また、同じモンゴル民族にも部族があるのはご存知でしょうか。モンゴル族のうち、全体の約8割以上が「ハルハ」と呼ばれる部族です。
人口が最も多いのは首都ウランバートル
モンゴルの人口を都市別に見ると、圧倒的に人口が多いのは首都・ウランバートルです。現在、ウランバートルの人口は150万人を越えるといわれます。これは、モンゴルの全人口のおよそ46%に当たる数字です。
ウランバートルに人口が集中し始めたのは、モンゴルが社会主義を捨て民主主義国家となって以降です。
社会主義時代のモンゴルでは、国民の移動が制限されていました。ウランバートルの人口増加も緩やかでしたが、民主化以降状況は大きく変わります。移動の制限が撤廃され、人々が自由に居住地を選べるようになったのです。
また、ウランバートルの都市計画が進められ、都市面積は1万1,894haから2万51haに拡張されます。都市に住む人には「0.7haの土地を無料で提供する」という法案が可決され、数万人がウランバートルに移住しました。
さらに、2003年に発生した「ゾド」によって多くの遊牧民が都市部に移住したことも、ウランバートルの人口増加と無関係ではありません。
ゾドとは、モンゴル特有の自然災害です。ゾドが発生した年は、夏の干ばつに続き、大雪や極寒の寒さといった破壊的な気象現象が続きます。多くの家畜が死んでしまえば、遊牧民は草原で暮らせません。遊牧民は遊牧生活を捨て、都市生活をするしかなくなってしまったのです。
モンゴルの人口密度
モンゴルの国土面積は、156万4,100平方キロメートル。これは日本の国土の約4倍に当たる広さです。これに対し、モンゴルの人口は日本の1/4程度しかありません。1平方キロメートル当たりの人口密度を見ると、日本がおよそ337人であるのに対し、モンゴルはわずか2人です。
モンゴルは「人より家畜が多い」などと言われますが、これは根拠のないことではありません。モンゴルの人口密度の低さは、グリーンランドに次いで世界で2番目です。
モンゴルの人口推移
減少を続けている日本の人口増加率と比較して、モンゴルはいまだに高い数値を維持しています。社会主義時代から現在まで、モンゴルの人口はどのように推移しているのでしょうか。ここからは、主に世界的に活用されている統計サイト「worldmeter」などの数値を参考に紹介します。
モンゴルの人口増加率
出典:Population growth (annual %) – Mongolia|THE WORLD BANK
2020年時点のモンゴルの人口増加率はおよそ1.7%です。マイナスの数値を更新している日本と比較すると高い数値に見えますが、モンゴルの過去データと比べると高いとも言えません。モンゴルの1979-1989年の人口増加率は2.51%とより高かったのです。
モンゴルでは1958年以降、5人以上の子どもを産んだ母親には第二勲章,8人以上なら第一勲章が与えられていたそうです。1994年3月8日までに、5万7,681人が第一勲章を、19万234人が第二勲章を与えられました。
また、当時は避妊具の使用や堕胎も認められておらず、女性の多くは3~4人、遊牧民の女性なら7人以上生むことも珍しくなかったとか。当時の政府は国力=人口と考えていたため、人口を増やすことを積極的に奨励したのです。
ところが、1990年代にモンゴルは民主化。人々にはより大きな自由が認められるようになりました。そしてこれ以降、人口増加率は低下します。女性が社会進出する機会が認められるようになり、家庭のみに留まらない人も増えました、加えて避妊具の使用や堕胎も認められ、計画的に家族を増やす家庭が増えたのです。
1989-2000の人口増加率は大幅に下がり、1.48%となります。
モンゴルの平均寿命も上昇中
人口増加に伴って、モンゴル人の平均寿命も上がっています。モンゴルの平均寿命は、2018年時点でおよそ70歳。1960年の平均寿命が49歳だったことを考えると、著しく伸びているといえます。
国民の平均年齢が28.2歳と若いモンゴルでは、男性は60歳、女性は55歳から法律上の「高齢者」に分類されます。多くのモンゴル人は、50歳を越えると「自分は老人である」と意識するそうです。
初婚年齢や出産年齢も上昇中
2019年に発表されたモンゴル統計局の資料によると、モンゴル人の初婚年齢の平均は男性が29歳、女性が26歳だそうです。ちなみに2010年の統計では、女性が24.2歳、男性が26.2歳という結果でした。
どの社会でも、女性の社会進出が進むと晩婚化・出産年齢の高齢化が顕著となります。モンゴルも例外ではなく、徐々に結婚や出産年齢が上がっているようです。
ちなみに、一人の女性が「出産可能とされる15歳から49歳までに産む子供の数の平均」を示す「合計特殊出生率」は、年々低下しています。2020年のモンゴルの合計特殊出生率は、2.8。国が出産を奨励していた1970年代には7を越えていたことを考えれば、かなり下がったと言えます。
モンゴルの遊牧民の人口
モンゴルの都市部を離れると、いまだに伝統的な遊牧生活を送っている人々がいます。モンゴルの遊牧民の人口はどのくらいなのでしょうか。遊牧民の人口について紹介します。
遊牧民は全人口の約13%
モンゴルには、現在でも約40万人の遊牧民が暮らすと言われます。ただし、彼らは季節ごとに住みかを変えます。定住者用の世帯調査のフレームワークが活用できないため、実際のところ正確な数値は分かっていません。
現在、世界中の国々の統計計画を支援する「The Trust Fund for Statistical Capacity Building(TFSCB)」は、地理情報システムやGPSを使って遊牧民の家庭のパイロット調査を行っています。調査結果はまだ発表されていませんが、遊牧民の人口のデータ収集に苦労する人々の有益なリソースになるのではと期待されています。
遊牧民の多くがウランバートルに移住
現在ウランバートルには、「ゲル地区」と呼ばれる密集地域があります。
ここは、遊牧生活をやめて都市部に移動してきた遊牧民たちが暮らす地域です。2001年以降、年間で約6万8,000人もの遊牧民がウランバートル郊外にゲルを建てて暮らすようになりました。現在、ウランバートルの人口の約半数に当たる75万人がゲル地区の住民です。
近年は地球温暖化の影響もあり、モンゴルの気候も昔とは変わってきました。前述のゾドが起きる頻度も増え、遊牧生活をやめざるを得ない人々が増えているのです。
ゲル地区の人口増加によりウランバートルの環境が悪化
ウランバートルの大気中の粉じんの成分、二酸化炭素ガス、硫酸、硝酸のレベルは許容レベルの2~5倍といわれます。市内では呼吸器系疾患、急性の感染性消化器疾患を患う人が増加し、社会的な問題となっています。
この原因の一つとされるのが、ゲル地区の公衆トイレや暖房です。ゲル地区は電気・水道や下水道等が十分に整備されていません。冬は薪か石炭による暖房に頼るしかなく、これがウランバートルの汚染源とされているのです。
ウランバートルでは、早急なゲル地区の環境改善が求められています。
人口の多いモンゴルの都市を紹介
モンゴルには、1市21県あります。このうち人口が最も多いのは、前述の通り首都・ウランバートルです。それでは、この他にどのような都市があるのでしょうか。
モンゴルの都市を人口の多い順に紹介します。
ウランバートル(Ulaanbaatar)
ウランバートルは、「赤い英雄」という意味を持つモンゴルの首都です。標高1,350mの高地にあり、元朝時代は王子達の別荘地として賑わいました。
この街は、1911年にモンゴルが独立宣言を行った際「Niislel Khureheh(「モンゴルの首都」の意)」と名付けられました。しかし、1924年に、世界2番目の社会主義国家である「モンゴル人民共和国」が誕生します。これに伴い、都市名は現在のウランバートルへと変更されました。
市の面積はソウル市の約7倍と広大ですが、観光地は密集しています。ダムディン・スフバートルの銅像が見られる「フスバートル広場」、チンギスハーンの銅像がある国会議事堂、国立オペラハウス、市立博物館などは全て徒歩圏内です。
また、市から北東に50kmほど行けば、ユネスコの世界遺産にも指定された「テレルジ国立公園」があります。
エルデネト(Erdenet)
エルデネトは人口約9万人を有する、ウランバートルの北約240kmに位置する街です。オルトン州の州都ではありますが、都市としての歴史はさほど古くありません。都市が誕生したのは、1974年のこと。1950年代に周辺地域で銅鉱床が発見され、多くの人が集まるようになってからです。
ロシアとの国境が近いこの街では、1980年代には多くのロシア人が鉱夫やエンジニアとして働いていました。ソ連崩壊後ほとんどのロシア人は去ってしまいましたが、ロシアとの関係は途切れていません。現在も市の人口の10%ほどはロシア人です。
また、エルデネト市内には、世界で4番目の規模を誇る銅工場があります。「エルデネト鉱業公社」によって運営されるこの工場は、モンゴルにとって非常に重要な産業施設です。2010年には、鉱山の収入がモンゴルの国内総生産の約13.5%、税収の7%を占めました。
この他、エルデネト市は良質なカーペット生地の産地としても知られています。
ダルハン(Darhan)
出典:Expedia
ダルハンは、ウランバートルから北へ230kmほど行ったところにある街です。人口は約7万4,000人ですが、モンゴルではウランバートルに次ぐ第二の都市として認知されています。1961年、モンゴルとロシアを繋ぐ「モンゴル縦貫鉄道」の拠点として作られました。
エルデネトと同様に、1990年代くらいまでは多くのロシア人が暮らしていました。しかし、彼らはソ連崩壊とともに姿を消してしまいます。現在は製鉄所や繊維工場、大学などで賑わう街です。
市街地は「旧市街」「新市街」に分かれています。仏教寺院や歴史的建造物は旧市街、ホテルやショッピングセンターなどは新市街にあります。
ちなみに、ダルハンとはモンゴル語で「鍛冶屋」という意味です。
ホブド(Khovd)
ホブドはモンゴルの西に位置する街で、人口はおよそ3万人です。海抜約1,400mのヤマトウラン山のふもとにあり、ウランバートルとは約1,400km離れています。
ホブドは、第3代ホンタイジとして知られるオイラート族・ジュンガル部のガルダン・ハンによって、17世紀に作られました。そしてジュンガル・ハン国が崩壊した後は、中国・清朝によって支配されます。街が再びモンゴルに帰属するようになったのは、清朝の勢力が衰えた1912年のことです。
街はモンゴル西部のビジネス・貿易の中心地です。モンゴル最大の農業大学があるほか、周辺には「Khar UsNuur国立公園」があります。
ウルギー(OElgii)
ウルギーはモンゴル最西端に位置する「バヤンウルギーアイマグ(州)」の州都です。人口は約3万人で、ウランバートルからは1,600kmほど離れています。
モンゴルにありながら、ウルギーはカザフ人の街です。公用語はカザフ語で、住民のほとんどがイスラム教を信仰しています。
街はカザフの刺繡と芸術、カザフの音楽などで知られるほか、伝統的なワシ狩りの祭りである「ゴールデンイーグルフェスティバル」でも有名です。
モンゴルの人口は今後も増え続ける見込み
モンゴルの国土は日本の4倍もありますが、人口は1/4ほどです。人口密度が圧倒的に低く、人混みに慣れた日本人にとっては別世界のように感じるのではないでしょうか。
一方で、モンゴルは出生率も高く、若い世代が多数を占める国です。人口は堅調に増え続け、2040年には400万人を突破すると見られています。日々発展しているモンゴルの存在感は、今後ますます高まりそうです。