モンゴルの人口と民族構成を徹底解説!モンゴルはなぜ人が少ない?

世界人口は年々増加傾向にあり、現在では70億人を超えています。

一方で、日本などの先進国では人口が減少傾向にあり、少子高齢化が社会問題となっているのが現状です。

モンゴルは日本と同じ東アジアに属する国であり、GDPだけ見れば後進開発国であると言われています。

しかし、現在モンゴルの人口は全体的に見ると増加傾向にあります。モンゴルの国内事情も段々と豊かになっているということでしょうか。

さて、今回この記事ではモンゴルの人口のことや住んでいる民族、なぜモンゴルの人口が少ないのか等を解説していきます。

モンゴルの人口

モンゴルの人口は2020年時点でおよそ327万人です。現在も増加傾向にあり、2040年には400万人を超えると言われています。

日本と比べるとかなり少ない人口であり、国土面積に対する人の数はかなり少ないと言わざるを得ません。

その人口密度はわずか2人/k㎡と、世界的に見てもかなり低い値です。

モンゴルの男女比

男女の比率はほとんど1:1です。

男161万人、女性が166万人と、わずか5万人ほどの差しかありません。

1950年代以降から見ても、男女の比率が0.96を下回る年はなく、2000年にいたっては男女比率0.995とほぼ同じくらいという時もあったくらいです。

近隣国と男女比を比べてみましょう。

ロシアでは、2020年現在で男性6764万人、女性7829万人とかなりの差があります。

その比率は0.864。モンゴルと比べても、低いことがわかります。

1950年代には0.766と、かなりの女性余りになっていました。

これは、モンゴルが歴史的に見て大きな戦争にあまり巻き込まれなかったという要因があります。

戦争により、男性の数が少なくなるということはフランスやロシアの例を見ても明らかであり、その点モンゴルは幸運であったと言えましょう。

モンゴルの年齢ごとの人口比率

モンゴルの年齢別人口比率は上記のようになります。

日本が典型的なつぼ型人口比率なのに対し、モンゴルは結構複雑ですね。

0~14歳が多く、14歳~30歳くらいまでが少ないのは、最近になってモンゴルの出生率が向上しているためです。

ソビエト連邦の崩壊と社会主義政策の放棄が一つの転機であったと言えるでしょう。

しかし、モンゴルでは女性の社会進出がかなり進んでおり、今後は晩婚化が進んでいく見込みがあります。

2010年の統計では初婚年齢が女性が24.2歳、男性が26.2歳という結果でしたが、2019年発表の統計では、男性が29歳、女性が26歳と、顕著に遅くなっていることがわかります。

モンゴルの民族構成

世界、特に大陸性の国家では多民族が一つの国家に属しているということは少なくありません。

島国である日本でさえ、大和民族やアイヌ民族、琉球民族が混在しているのですから、人の往来が比較的容易な大陸ではたくさんの民族が同じ国にいます。

モンゴルも例外ではありません。

モンゴルにはどのような民族が住んでいるのでしょうか。

ハルハ民族

ハルハ民族はモンゴル語族の言語を使う諸民族を指します。

っというより、ハルハ方言が現在のモンゴル公用語に指定されているのです。

現在、モンゴル、中華人民共和国、ロシアに多く居住しています。

モンゴル国の人口の95%がハルハ民族です。

しかし、遊牧民族であるという性質上、かなり多くの部族が存在し、それぞれずっと一枚岩だったというわけではありません。

チンギス=ハンがモンゴルを統一するまではそれぞれの部族が対立しあっていたほどです。

トルグード族

モンゴル国内だけで約15000人いる少数民族です。

そのほとんどがモンゴル西部に属しますが、一部が中国のウイグル自治区北部にも在住しています。

モンゴル帝国時代には、特に勇猛果敢であることが見いだされ、帝国の守護を任せられたほどです。

バヤダ族

バヤド部族はモンゴル国の中でも一番多い少数民族です。

その数はおよそ57000人にも及びます。

全体を占める割合についてはわずか1.7%ですが、先のトルグート族に比べてもかなり多いのがわかると思います。

現在はモンゴル西部、ゴビ砂漠、内モンゴル、ロシアなどに点在しています。

ブリヤート族

モンゴルの北部とシベリアの南部に住むのがブリヤード族です。

現在、46000人のブリヤート族がモンゴルに住んでいます。

一般的なモンゴルの部族が草原で遊牧民的な暮らしをしていたのに対し、ブリヤード族は少し特殊。

バイカル湖南部の森林地帯で狩猟を中心とした生活を行っていました。

ダリガンガ族

人口は約28000人で、スフバートル州南部、ゴビ砂漠近くで暮らしています。

モンゴルが清国によって統治されていた時代、馬の世話役を任されていた民族でした。

かつて、その馬の世話の賃金が銀で払われており、ダリガンガ族はその銀を利用してアイテムを作っていたことから、現在でも銀細工の生産を行っているそうです。

ザクチン族

モンゴルに約33000人、ザクチン族は在住しています。

ザクチン族の「ザクチン」は「国境のそばに住む人」意味しており、17世紀はモンゴルの南と東の国境に沿って住んでいました。

しかし、満州族によって攻撃を受けたことにより、国境の警備が崩壊。

現在住んでいるモンゴル西部にまで押し戻されてしまったのです。

ウリアンカイ族

ブリヤード族と同様、ウリアンカイ族もモンゴルの森林地帯に住むハンターでした。

現在では27000人がモンゴルに住みます。

ウリアンカイ族の大半はもともとモンゴルのハルク族・オワド族、トルコ人の子孫でした。

元朝時代には、5個大隊にわけられ、モンゴルの入植地を保護していましたが、元朝の崩壊後はモンゴル高原~中央アジアに至る、様々な場所に散り散りになってしまいました。

カザフ民族

カザフ民族は全世界でも1600万人いる民族です。

その多くがカザフスタンやウズベキスタンなどの中央アジアに住みますが、モンゴルにもカザフ民族がいます。

カザフ民族はモンゴルにおよそ100000人ほど居住しており、モンゴル国の人口に対する割合は3.9%ほど。

ほとんどがモンゴル国西部バヤンウルギー州にいます。

彼らの文化は他のモンゴル系民族とは全然違い、使用する言語もカザフ語が中心です。

元々、17世紀にはモンゴルに住み始めたと言われており、カザフスタンとの行き来は比較的自由でした。

しかし、モンゴルが1900年代になって社会主義政策を採用するようになってから、カザフ民族の出国が禁止になりました。

元々亡命や脱出が多い社会主義国家では、国民の海外逃亡を厳しく罰する傾向にあります。

1991年、ソビエト連邦の崩壊に伴う民主化して以降、カザフ民族の国外移住が認められ、一時期はカザフ民族の数が減少しました。

現在、モンゴルの政情も安定しているということなので、2000年以降はまた増加中にあるとのことです。

都市ごとの人口比率

次に、都市ごとにどの程度モンゴル人が住んでいるのか見ていきましょう。

ウランバートル

言わずと知れた、モンゴルの首都ウランバートルでは、人口150万人程と、全モンゴル人の半数程度が集まる一大都市です。

人口密度は314人/k㎡と、モンゴルの中では多い方です。

元々はフレーという名前で呼ばれ、清や中華民国の支配時期にも政治・経済の中心地として活用されました。

その後、ソビエト連邦との関係強化、社会主義政策化により、フレーから「赤い英雄」を意味するウランバートルに改名。

現在に至ります。

エルデネト

人口86866人で、モンゴル第二の都市です。

1970年代から銅鉱山の開発で急速に発展しました。現在では、ロシア資本も入っており、アジアで最大、世界でも4番目に大きい銅鉱山を有することになっています。

年間2223万トンの鉱石、12万6700トンの銅が精製され、モンゴルのGDPの1割を賄うほどの経済都市に発展しました。

ダルハン

人口74300人の、モンゴル第三の都市です。

モンゴル縦貫鉄道が通り、エルデネトと合わせて工業都市に位置づけられています。

ちなみにダルハンの語源はモンゴル民族や女真族で使用されていた尊称や称号の一つであり、ダルハンの称号を持つ者は9度罪を犯しても免ぜられる特権を与えられました。

チョイバルサン

人口38450人の都市であり、社会主義政策に移行する前はバヤン・トゥメンと呼ばれていました。

現在、チョイバルサンの名前はモンゴルの英雄、ホルローギーン・チョイバルサンからとっています。

古来から交易の要衝であり、19世紀には市として成立していたことがわかっており、20世紀にはモンゴル経済の中心地として発展。

しかし、その後1992年の民主化で外国人労働者の流出が起きると経済が大きく衰退してしまい、現在でも国内最悪基準の失業率にあえいでいます。

問題となっている一極集中

モンゴルの各年ごとの人口比率を見て明らかなように、ウランバートルへの一極集中は世界的に見てもかなり極端です。

もちろん、それは現在社会問題にもなっています。

社会主義政策時代からウランバートルへの集中は始まっていましたが、そこまで顕著なものではありませんでした。

1990年代からの自由経済化により、放牧を営むことができなくなった遊牧民族が対量に流入することによって急速な人口拡大が起きてしまったのです。

都市というのは、その開発度によって受け入れられる人口が決まっています。

人をたくさん住まわせようとすると、住むところ然り、電気や水道、病院や警察も整備しなければなりません。

ウランバートルはその急激な人口増加に対して、中々インフラ整備が追い付いていないのです。

住居も同様です。

家畜などの資産を失った遊牧民族は仕事を求めてウランバートルに来るまでは良いのですが、住居を見つけることがなく、結局移動式住居であるゲルに寝泊まりすることとなります。

もちろん、ゲルの中に電気や水道がとおっているはずもなく、冬の厳しい寒さには石炭ストーブによって乗り越えているため、環境汚染も起きてしまっているのです。

このようなゲルに住む人々が集まる場所をゲル地域と呼び、市の人口の6割にも及ぶと言われています。

モンゴルの人口はなぜ少ない?

モンゴルは国土面積に対してかなり人が少ないと思いませんか?

その理由はモンゴル高原がまったく作物の栽培に適していないことが挙げられます。そもそも気温が寒く、雨も中々降らないので、仕方ないと言えるでしょう。

しかし、理由はそれだけではありません。

モンゴルの人口が少ないのは、近隣諸国との関係性にも理由がありました。

中国との関係

実は、中国にも「モンゴル」が存在します。

それが内モンゴル自治区という場所です。ちょうどモンゴル中国国境沿いの中国側に位置する地域であり、その名の通り、モンゴル族が自治しています。

しかし、現在では漢人の流入がかなり多く、内モンゴル自治区人口2400万人の内、80%が漢人です。

モンゴル人はわずか20%ほどしかいません。

それでも、モンゴル国全体の人口に比べると、内モンゴル自治区に住んでいるモンゴル人の方が多いのです。

これの理由はもちろん、漢人との混血の結果であるともいえるでしょうが、元々内モンゴルは人が大勢住める土壌・地盤が固まっていたのが一番の要因です。

歴史的に、中国はモンゴルを度々支配してきました。

肥沃で済みやすい内モンゴルが現在中国の領土であることはその名残なのです。

つまるところ、モンゴルの人口が国土に対してかなり少ないのは、歴史的事情により、中国に内モンゴルを奪われているからだと言えるでしょう。

まとめ

日本に住むモンゴル人

最後に、日本に住んでいるモンゴル人はどれくらいいるのかについて紹介していきます。

元々、太平洋戦争でも対立していましたが、主義主張が違うにもかかわらず、冷戦中においても両国関係は比較的良好でした。

冷戦終結後、モンゴルと日本は同じ東アジアの国として、ますます文化交流が多くなっていきます。

それを象徴するように、日本の相撲界でもモンゴル人力士の活躍が華々しく、モンゴル人を身近に感じる日本人も多いです。

日本にはおよそ12780人ほどのモンゴル人が滞在しています。

そのほとんどが留学を理由とする滞在であり、流動的ですが、この人数はどんどん増えていくことでしょう。

日本の防衛大学校もモンゴルの留学生を受け入れており、更に日本とモンゴルの関係性が良くなっていけばいいですね。