モンゴルの首都「ウランバートル」についてもっと詳しくなろう

アジアの中央に位置する遊牧国家として日本とは全く異なる文化を持つモンゴル国。

日本との関係も良好で直行便もあるのですがどんな国なのかよく知らないという人も多いかと思います。

首都であるウランバートルはよくあるイメージの大草原とは違う近代的な大都市になっていますよ。

以前もご紹介したモンゴルの首都「ウランバートル」について違う一面を紹介します。

モンゴルの首都・ウランバートルってどんなところ?行く前に知りたい環境や生活を紹介

ウランバートルの基本情報

「ウランバートル」はモンゴル国の首都になっていて、国の中央よりやや北側に位置しています。

ウランバートルの人口は159万7,290人で、モンゴル国の人口の約半数を占めています。(2020年時点)

人口2位のエルデネトは9万781人で大きな差があります。

国内総生産の7割を独自で生産する経済、社会、文化の総合中心政治・経済・文化の中心地となっていて、今年の7月4日には新ウランバートル国際空港が開港され成長が期待される都市になっています。

ウランバートルになぜ人は集まるのか

モンゴルの人口の3分の2が住んでいるウランバートル。

そのうちの4割は水道や電気などのインフラ設備が整っていない貧困地区に住んでいます。

モンゴル国は1990年代初頭に社会主義体制から民主主義に変わって、鉱工業を中心に経済成長を遂げました。

1990年代は約56万人でしたが、2000年代に入ると鉱物資源の下落や自然災害による農牧業への打撃の影響を受けてウランバートルに引っ越す人が増加しました。

2014年には130万人を超え、現在は約160万人もの人が住んでいます。

都市部と農村部の格差

ウランバートルに多くの人が来る理由の1つに都市部以外との格差があります

清潔な手洗い場を使える人は都市部では8割ですが、農村部では5割未満にとどまり、インフラ面で大きな差があります。

農村部では雪害などの自然災害がたびたび起き、家畜である羊や山羊が大量に減ったことで牧畜業に頼る多くの人々の生計に影響を与えました。

そして、教育面でも格差があり、大学進学をするためにはウランバートルで生活をする必要が多くありました。

経済や教育などの様々な格差を埋めるために多くの人がウランバートルへ移住しているのです。

移動の自由化

社会主義時代には居住地移動は制限がありました。

そのため、大きな動きはありませんでしたが、居住地移動が自由化されるとウランバートルの人口が増えていきます。

ウランバートルでのアパートの入居は物件数が少なく、価格も高騰していたのでゲルを建てて住む人が出てきました。

2003年に施行された土地法でゲル地区居住者も自分の敷地を所有地として権利を持つことが出来るようになりました。

ウランバートルに人が集まるようになったのは経済的な理由だけでなく、法律的な制限がなくなったことも理由の1つとしてあります。

ウランバートルの街並み

 

ウランバートルは高層ビルや工場の近代的な街並みと伝統的な移動式住居「ゲル」地域が混在する大都市です。

大きな変化は1930年代に起きた寺院経営の締め付け政策があります。

この政策で多くの寺院が破壊されましたが、破壊されなかった寺院の建物を公的機関に利用されました。

寺院を壊した後はゲルや低層住宅が広がっていましたが、都市計画に沿った大規模な区画・道路整備や集合住宅の建設が1950年代末に行われました。

その後はソ連などの社会主義国からの支援を受けて高層ビルが建築されていき、近代的な街並みになっていきます。

都市計画のよって広い道路が計画的に配置されているソ連式になっていて、繁華街が存在しないなどの特徴がありました。

建物はロシア風に作られているものが多くありますが、中国様式の寺院や建物やモンゴル独自のデザインの建物も建てられていて様々な形式の建物があります。

一軒家は少なくアパートやマンションなどの集合住宅が多いです。

その中でも特徴的な建物を1つご紹介します。

ダシチョイリン寺

現在は主に地元の人が利用するゲル型の寺院になっています。

しかし、チベット仏教が締め付けをあった時に破壊はされませんでしたが別の施設として使われました。

それはサーカスの舞台としての利用です。

寺からサーカスの舞台と正反対の使われ方をしたダシチョイリン寺ですが1990年代の民主化を受けて寺院として再び利用されることになりました。

現在でも「古いサーカス」と呼ぶ人も居るそうです。

ブルースカイタワー

ブルースカイタワーは2009年に完成した25階建てで高さは105mの高層ビルになって完成当初は最も高い建物でした。

青い色付きガラスと半円の独特の形が特徴的なホテルです。

ウランバートルのランドマーク的な存在になっていて館内施設も充実しています。

5つ星ホテルとして評価されている高級ホテルなので日頃のご褒美として泊まってみるのはいかがでしょうか。

新ウランバートル空港とは

引用:Yahoo!ニュース

7月4日に新ウランバートル国際空港が開港しました。

1957年から使われてきた旧空港は改修を重ねて、対応を続けていましたが、産業の成長や、豊富な地下資源・畜産資源に対する投資拡大など増加する需要にこたえるために新空港に移転することが決定。

建設工事は三菱商事・千代田化工建設JVが2013年に受注しています。

設計は梓設計・オリエンタルコンサルタンツグローバルJVが担当していて、空港運営は成田国際空港会社など日本企業が多く携わっています

首都ウランバートルの南西約50キロの草原を整備して、空港が作られました。

モンゴル国は日本政府から政府開発援助によって第1期・288.7億円、第2期・368.5億円の融資を受けています。

そのため、新空港の初フライトはウランバートル—成田便となっていて、オフナー・フレルスフ大統領は「二国間協力の象徴だ」と開校式でも感謝を述べていました。

3,600メートルの滑走路に6つの搭乗橋が備えられていて年間200万人の乗降が可能になっていますよ。

旧空港では対応できなかった大型の旅客機や貨物機も対応可能になっているので、モンゴルの成長と共に旅客数が増加することが期待されています。

 

ウランバートル市長は元横綱のお兄さん?

引用:ウランバートル市公式HP

現ウランバートル市長はドルゴスレン・スミヤバザル氏です。

実は元横綱の朝青龍さんのお兄さんで、市長自身も格闘家として活動していました。

アトランタオリンピックではモンゴル選手団の旗手を務めるほど実績がある選手でした。

2008年にウランバートルの市議選に立候補して当選すると2012年には国家議員になります。

2017年には新内閣が発足すると鉱業・重工業大臣に就任して、鉱業インフラプロジェクトの立ち上げをしました。

2020年には国会議員を辞めてウランバートル市長になり、ウランバートル市長として5つの目標を立てています。

  • 子供と若者の街
  • 緑豊かな街
  • 安全な街
  • 混雑のない街
  • 創造都市

ウランバートルに法的地位に関する法律改正

7月8日の国会本会議でウランバートル市のは法的地位が自立することが決まりました。

来年の1月1日から執行されるので現在、準備が行われています。

法的地位が自立と言われるとよくわからないと思いますがポイントは以下の2つです。

ウランバートル市独自の事業ができる

法律改正によってウランバートル市は「市債」を発行することが出来るようになりました。

市債とは事業に必要な資金を金融機関などからする長期的な借入金のことです。

そして、施設の運営を民間事業者に依頼することもできるようになったので、ウランバートル市独自の事業や政策をしやすくなりました。

市長が内閣に審議案を提出できるようになった

ウランバートル市は政府にではなく各省庁を通して審議案を提出していました。

しかし、内閣に直接審議案を提出できるようになったのでウランバートル市が抱えている問題を解決しやすくなります。

国の半分以上の人口を占めている大都市でしたが、問題が政府に伝わらないことが多くありました。

この法律が施行されると大きな事業もスムーズに進めていくことができるので、これからの大きく発展することが期待されます。

ウランバートルとの友好都市

国同士の外交関係とは別に文化交流などを目的にした友好都市と言うものがあります。

実は日本でウランバートル市と友好都市として提携している自治体が二つあるのですよ。

宮崎県都城市と長野県佐久市が友好都市として提携しています。

現在はコロナ禍の影響で直接的な交流は出来ていません。

宮崎県都城市

都城市は1993年にモンゴルの遊牧民に風力発電機を贈るという民間の協力活動から始まりました。

1999年に友好交流都市を締結して現在も文化交流を続けています。

お互いの文化・歴史・生活を学ぶための青少年交流を行っていてウランバートル市と都城市で交換留学をしていました。

レスリングの選手団やオリンピック選手を招いての「モンゴル・日本レスリング交流会」で交流を深めています。

市長が公式訪問や友好交流都市締結20周年記念式典が開かれるなど現在でも友好的な関係を築いていますよ。

長野県佐久市

佐久市は2006年の「モンゴル国建国800年記念」で佐久市の熱気球とパイロットを派遣したことをきっかけに交流を深めていきました。

2008年に2008年、ウランバートル市スフバートル区と友好都市提携の協定調印式を行います。

佐久市でのホームステイやスフバートル区からの研修生を受けて入れることで日本文化の理解や交流の場を作っていました。

中学生海外研修では8日間、モンゴル国での生活を体験することでお互いの文化を理解しようといています。

まとめ

今回はウランバートル市長や友好都市などについて紹介しました。

友好都市や新ウランバートル空港の資金援助など日本と関りがとても多い国です。

これからもどんどん発展していくことが予想されている都市なのでモンゴル国に行く機会があるなら、思いっきり楽しんで見てほしいです。

ウランバートルでモンゴルの魅力を存分に味わってくださいね。